2007年3月10日 (土)

千葉の自然干潟から人工海浜へ(4〉千葉港にて

101_3112101_3117左:千葉港入口に突き出た丸紅石油(ブタン)の鉄骨だけの埠頭。右:中央は千葉ポートパークタワー(125m)。

101_3149101_3167左:千葉ポートパークにて。泳ぎ回るラブラドル犬2頭。右:親水護岸で遊ぶ子供たち。

101_3134101_3171左:千葉港中央でも憩う数百羽のスズガモ。要クリック拡大。右:ポートタワーの前には照葉樹の並木。

(3月4日漕ぎレポ)

 覧船がカモメをわんさかひきつれて千葉港に入っていった。そのうしろから港へ。時刻を見るとまだ14:00前。計算したら時速6km出ている! 潮流のおかげか。 だったら養老川河口までにすればよかったと思うが、その先の地図も持ってなかったし、上陸ポイントも調べていなかった(帰宅後、計算しなおしたら時速は5kmどまりだった)。

 回、夕暮れの三番瀬海浜公園のはずれでフネをたたんだ時は、手すりにひっかけたスプレースカートが風に揺れ、人影に見えたりしてビク~とした。日没後の撤収はおっかない。千葉ポートパークは絶好の階段護岸だし、まだ早いがここで切り上げることにした。

 ズクラゲをすくいあげて喜ぶ親子、泳ぎ回る犬、砂遊びする子供、釣り糸をたれる少年、ウィンドサーフィンやファルトを楽しむ大人たち。千葉港の一角の小さな水辺はちょっとしたオアシスだった。公園の管理棟に着替えをしにいく途中、若い桜並木があった。浜辺とパークタワーの間には、照葉樹(タブノキやシロダモ)の木立ちが夕日に照り映えていた。神奈川県の海岸線では人工的な照葉樹の並木をほとんど見かけないので、とても新鮮だった。海岸緑化は松でなくてもいいのかもしれない。

 R千葉駅に向うバスからは、千葉市内の街路樹の見事さに驚いた。クスノキやタブノキの巨木の並木なのだ。ほかにはケヤキ、プラタナス、ヒマラヤスギなどもあり、つかの間、街路樹ウォッチングを楽しむ。千葉は用地が広く、公園はどこもゆったりしていて緑がよく育っている。湘南は山がせまって平地が少ないせいか、低山を借景にしているせいか、あまり高木の街路樹がないなあとあらためて思った。

 「土地には個性がある」とはこの日の朝日新聞で読んだ建築家安藤忠雄氏の言葉。表面的なローカルカラーが薄れても、土地の骨格は変わらない。

 葉の市街地の緑が目にしみたのは、おそらく海から出かけたせいだと思う。(おしまい)    

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千葉の自然干潟から人工海浜へ(3)幕張・検見川・いなげの浜

101_3072101_3078 左:京葉港南端。埋立てたものの売れ残った土地か?右奥に幕張新副都心が見える。右:幕張の浜と千葉マリンスタジアム。

101_3083101_3090左:海面が少し波立つ花見川河口。右:いなげの浜。侵食が進み、海岸奥が堤状に。

101_3101101_3093左:いなげの浜の砂。細かいジャリが混ざっている。右:いなげの浜に上陸。

(3月4日漕ぎレポ)

 番瀬をあとにして習志野市にさしかかると、南西方向から上げ潮が寄せてきてフネを押してくれる。ここから先は砂浜が続くので、荒れてきた時の退避場所をカクニンしながら進む。ヨットハーバーとか、防波堤の中とか。航行する船はほとんどなく、幕張で釣りの小型クルーザーが1艇。検見川の浜にさしかかると、ウィンドサーファーが沿岸に、ヨットが沖合いに。

 の浜も松林を養育していて、幕張ではそこからホテルやマンションがタケノコのようにニョキニョキ林立していた。緑に救われてる景観。人工浜のベージュ色を見て、対岸の三浦半島に「兄弟浜」があったことを思い出す。横浜・金沢八景の海の公園が同じ色をしている。千葉の砂を使って作られた人工海浜なのだ。八景の海辺にはマヒトデとアメフラシがたくさん転がっていて、アオサとアマモも多かった。千葉の人工渚には何がいるんだろう。

 一、数の多いのはスズガモ。数箇所の海面で群れていた。いなげの浜の南端に上陸する。山砂を入れているせいだろうか、摩滅した小さなジャリ、あとはシオフキガイの殻が目立つ。海釣りに興じる人たちが等間隔に並び、芝でびっしり覆われた草地でのんびりくつろぐ人の姿も見えた。

 んなデータを見つける。「底生生物(アサリやゴカイ)による海域全体での窒素浄化量:盤洲2,562、三番瀬2,518、幕張11、検見川4、いなげ8(単位はkg・N/日)」(千葉県環境生活部による調査報告、1996)。

 張、検見川、いなげのどの浜も一見、市民の憩いの場になっているように見えたが、ドン深で遊泳は禁止。どこも河川による砂の供給がないため海岸侵食が激しく、山砂で補充するのに多額の費用を投じているようだ(たとえば94年、幕張では8000万円)。いなげの浜では、やはり年中、砂を削られている鎌倉坂ノ下海岸で見るのと同じような浜崖ができていた。検見川の浜は石垣で護岸されている。

 民は人工海浜の維持を望んでいるようだが、今後どうなるのだろう。

 のエリアは漕いでいる時は快適だったのだが、内情を知れば、テンション大暴落。海も人も見かけによらず。(つづく)

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2007年3月 7日 (水)

千葉の自然干潟から人工海浜へ(2)大潮の三番瀬にて

101_3049_1101_3038左:ふなばし三番瀬海浜公園にて。暖かな日差しにオオイヌノフグリとヒメオドリコソウが開花。右:若い松林がずっと続く。101_3057_1 101_3052

左:沖に向うにつれて変化する砂紋。クリック拡大すると、かわいいハマシギの足跡が見えます。右:カワセミ丸がやっと組みあがった時には、干潟がはるかかなたまで広がっていた。広さ140ha。

101_3061_2101_3063_1左:漁師さんが素手で道具も使わずアサリを採っていた。海水が冷たいので深くもぐっているアサリはまだ小さい(2cm位)。右:漁師さんと別れたのちもまだまだ歩く。後方は船橋地先の埋立地。沖のポールの立つところまで一般の人の潮干狩りは禁止。

(3月4日漕ぎレポ)

 JR船橋駅からバスで「ふなばし三番瀬海浜公園」へ。プール、テニスコート、レストラン、駐車場完備の広々した公園を抜けて浜辺に降り立ったのは7:40。お~、引いてる引いてる。まだ人のいない干潟はハマシギたちの大お食事会場となっていた。ゴカイなど忙しくつつき回っている。群舞も披露してくれる。

 速、浜でフネを組み始める。寝不足のせいか頭がボーとして集中力なく、気がつくとフレームのバウとスターンを反対にして組み、船体布につっこんでいた。これじゃ、バック漕ぎツアーじゃないの。フレームを船体布から引き出してやり直し。出発までに2時間もかかってしまった。このロスで谷津干潟まで漕ぎ上るという選択肢は完全に消える。

 津干潟と三番瀬干潟はどうちがうのか、ちょっと見てみたかったのだ。三番瀬の干潟の北側部分は航路を埋め戻したものなので、純然たる自然干潟より生物が少ないらしい。アサリもよそから運んできてまいている。それを採る漁師さんたちがぽつぽつ現れ、沖にちらばっていた。

 とりのニコニコした漁師さんがやってきて、まだペシャンコのカワセミ丸を見ると言った。「あったかくなってきたねえ。このへんで漕ぐの?」「稲毛のほうまで行くんです」「このフネで?!」 カワセミ丸は見かけによらず頼りになるヤツだとlarusは知っている。けれど前回ちょっと驚いた。〈カワセミ丸+全装備+カート〉の重量は家を出る時23kgだったのが、帰宅直後に計ったら30kgに。船体布および全装備が水を吸って、ツアー終盤には7kgもの余計なお荷物を乗せて漕がねばならないのだ。

 だんの漁師さんは、少し前、深いところでアカエイに刺されたそうで、もっぱら水の引いたところで素手でアサリを掘り出していた。白っぽいシオフキガイは砂をはかせるのが大変だからとより分けていた。そして東のほうを指し「あっちに行けば、バカガイとアオヤギも採れるよ。バカガイとアオヤギは違う」とおっしゃる。同じだと思ってたけど。どこが違うのかは聞いたが忘れてしまった。

 じさんと別れて、ほかの潮干狩りの漁師さんたちの間をフネをひきずって歩き、十分な水深になるまで10分ほどかかった。やっとカワセミ丸に乗り込む。しばらの間、水深は20cmほど。砂底が見えていた。やがて水深1mほどになり、東の防泥柵が切れるところではもうパドルで測定しようにも、ブレードの先は海底に届かなかった。

 西にぼやっと浦安のビルが、東の京葉埠頭の南の埋立地にはまだ工場が少なく草地もあり、散歩する市民の姿が見える。海はとろんと凪いで、水はさほどきれいではないが青空を映して心地よい海上散歩日和だ。まだスズガモの大群があちこちにいて、逆光に飛び立つと、無数の黒々した手裏剣となり移動していった。

 1993年にラムサール条約(水鳥の生息地として重要な湿地に関する条約)に登録された谷津干潟は面積わずか40ha。江戸川放水路をはさんで市川市から船橋市にまがたる三番瀬の干潟は140haの広さだ。水鳥の生息地としてだけでなく、水質浄化してくれる魚介類の生息地としても浅海や干潟、湿地の保全が重要なことは今や広く認知されてるはず。そして東京湾にわずかに残る干潟は、盤洲(木更津)、富津洲、三番瀬、三枚洲(葛西沖)、羽田州だけ。

 「東京湾の干潟を保全しよう、生き物たちのために」じゃ、今ひとつ伝わりにくいから、「いつまでも江戸前の美味しい魚を食べられるようにしよう」と言う人もいる。どう言ったら干潟の保全は伝わるのだろうか。まず、鳥と魚と貝がいっぱいの海を見てもらわないと。

 番瀬は平成14年に千葉県堂本知事によって、第2期埋立計画が白紙撤回され、以来、都市計画、港湾整備、漁業、自然保護の観点から三番瀬の修復や再生に関して専門家たちが検討を重ねてきた。しかし、いまだに具体的計画が示されておらず、自然保護団体は苛立ちを隠していない。

 浅の三番瀬は死守したいという強い思い。それもそのはず。ここから先、木更津まで自然海岸はほとんどないのだ。湘南七里ガ浜海岸も昔、西部不動産による埋立計画があったが、おらが海の話に置き換えてみれば、ぞっとするではないか。(つづく)

 

 

       

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2007年3月 5日 (月)

千葉の自然干潟から人工海浜へ(1)あらまし

Photo_603月4日(日)漕ぎレポ

海況:曇りのち晴れ、気温19℃、北北西~西南西~西風2~3m、波高0.5m、日出6:07、日入17:37、干潮11:26、満潮 17:12、大潮。

コース:ふなばし三番瀬海浜公園10:00~幕張の浜~検見川の浜~いなげの浜12:40着、13:10発~千葉ポートパーク 13:40  航行約16km

 潮の三番瀬はそれはにぎやかなのだった。ウグイスのまだ下手っぴなさえずり。干潟のアサリやシオフキガイ、マテガイ。食事にいそがしい無数のハマシギやスズガモ、オナガガモ。貝採りする漁師さんたち。出漕するのに、舟を延々ひきずるハメになったけど。

  倉海岸も遠浅だが、スケールがちがいました。ここは1970年代に航路として浚渫を繰りかえしたが、波の力には勝てず、遂に79年、埋めもどされた遠浅の海。

 の先の緑化された人工海浜にも、ポカポカ陽気のもと、たくさんの市民が繰りだしていた。千葉県に入ると、漕げば漕ぐほど、うちに近づきつつあるはずだが、残念ながら三浦半島は霞のなかにあった。

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2007年3月 3日 (土)

浦安・かけ足探訪記

101_2971101_2970左:境川・東水門下にいたスズガモ。1羽のメスをめぐってオス2羽が恋の鞘当か。右:境川。かつては両岸に舟がびっしり係留されていた。西岸は水際に降りられるよう整備されたばかり。東岸も同様の工事中。カヌーで上陸可。

 月25日(日)、駆け足で浦安市郷土博物館を訪れた。東陽町駅から乗った東京メトロ東西線はすぐ地上に出ると、高層マンションがびーっしり息苦しいほどに立ち並ぶ葛西を抜け、わずか3駅で浦安駅へ。都心まで20分足らずのベッドタウンであれば、「東京ディズニーランド」という命名にも納得する。

 前は大きなうなぎ屋さんが目につくほかは、NOVAやケンタッキーやアコムの看板が並ぶごく普通の町。大通りに出てバスに乗り、市役所前下車。ここまで来ると高い建物は市役所や文化会館だけで空が広い。すぐさま目に入った水門を見に行く。境川の東水門だ。

 ズガモが3羽来ていた。近くで見ると、キッとした目でオッカナイ顔をしている。つがいになりつつあって、もうまもなく北に帰り繁殖するのだ。護岸壁が高いせいか、係留してる船が一切ない。でも、うれしいことに、水辺に降りられるよう整備が進められていた。これこれ、これですよ! 都市の運河で遊びたいカヤッカーが求めるインフラ。しかしどういうわけでこの整備をしてるのか。市民からプレジャーボートを降ろしたいという要望が? はたまた郷土博物館のベカ舟などをここから降ろすため? 今に昔のようにたくさんの舟が行き交う川になるのを期待して、目と鼻の先の郷土博物館へ。

 物館の前庭には海苔の干し場が再現されていた。特別展のテーマが海苔作りで、昔ながらの海苔作りを体験させてくれるのだ。入館してびっくり。800年続いた漁師町の伝統・習俗をたいせつに語り継ごうというコンセプトがみごとに具現されていた。漁具や船の展示、舟大工さんによる実演公開、漁師言葉の録音・再生、鵜縄漁を再現した映像上映、屋外に展示された町並みや舟の復元、本格的調査をまとめた刊行物などなど、小規模ながら親しみやすく多角的に資料を公開している。

 に印象的だったのは、写真パネルで見る昭和の浦安の漁民たちの表情やたたずまい。頑健で揺るがぬものを感じさせ、きりっとしていて粋な装束で品があって、見ほれた。海で実直に働いていた人間の美しさ だろうか(漁師さんに限らず、写真で見ると、昭和40年代位までの日本人の顔には品があったと思う)。

 家山本周五郎は『青べか物語』の中で、かなりエキセントリックで愚かしい人物を何人も創造しているので、この小説は浦安の人たちには「誇張しすぎ」であまり評判がよくなかったらしい。写真パネルのきりりとした表情を見ていると、さもありなんと思われた。

 目当てのベカ舟は閉館まぢかで乗ることはできなかったが、立派な小舟が屋外展示場の水路に浮かんでいた。この舟は櫂で漕ぎ、それを砂につきさして舟を固定し、海苔の採り入れなど行なった。帆を張ることもできた。館内で『浦安のベカ舟』(1993年、市教育委員会)という調査報告書を買ったが、ベカ舟は浦安のシンボルであるだけに、驚くばかりの念入りな報告書だ。べか舟の語源、分布、変遷、付属品、操舵方法、漁法、製造方法・道具・材質、その他の漁船、船大工の生活などなど網羅している。

 告書によれば、三浦市金田、長井にもベカと呼ばれた舟があったそうだ。「ベカ舟での遭難」という項目にはこんな話が。「漁をしているうち櫂の立たない場所まで行ってしまい、ナカウミに流されることもあった。流されたときはあきらめて、船を風に対して横にならないようにして、おとなしく座っていると1晩で上総方面に着く。しかしナカウミはシケるため右往左往して船の中で暴れてしまい、船が転げて溺れる人もいた。」

 た、『漁師の観天望気』という漁民に語り継がれてきた天候に関する言い伝えを聞き取り調査した報告書も買ったが、これも詳細で湾岸カヤッカーには役立ちそう。

 足ながら、博物館の隣りには広い敷地面積の市立中央図書館があった。まるで大型書店のような広々とした館内に最新の設備で、利用者は若者の姿が目立つ(帰宅後、思わず浦安市の財政状況などしらべてしまう。財政力指数1.65は千葉県でトップ。20代30代が人口(15万人)の4割を占め、市の予算の20%が教育費につぎ込まれている)。高齢化の進んだ町に住む私は、浦安が活力に満ちた若い町であるのをひしひしと感じながら帰路についたのだった。

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2007年2月17日 (土)

月島から三番瀬まで(5)『青べか物語』の海をゆく・浦安

100_2887_1100_2888左:ボンギ(棒の木)とホテルとディズニーシー。右:ディズニーシー。線香花火のような花火と歓声が。

Photo_50Photo_51左:三番瀬の海苔ひび。右:17:30ふなばし三番瀬海浜公園前の干潟に到着。

(2月13日漕ぎレポ)

 浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣場とで知られていた。町はさして大きくはないが、貝の缶詰工場と、貝殻を焼いて石灰を作る工場と、冬から春にかけて無数にできる海苔干し場と、そして、魚釣りに来る客のための釣舟屋と、ごったくやといわれる小料理屋の多いのが、他の町とは違った性格をみせていた。

 町は孤立していた。北は田畑、東は海、西は根戸川、そして南には「沖の百万坪」と呼ばれる広大な荒地がひろがり、その先もまた海になっていた。 ~山本周五郎『青べか物語』より~

 和初期、浦安で1年あまり暮らした山本周五郎は、そこで出会った開放的で人間味あふれる人たちをモデルに後年『青べか物語』を書いた。作中では当時の豊かな自然がつづられていて、アシ原や沼地だった「沖の百万坪」には、用水堀が縦横に走り、フナ、ハヤ、コイ、ナマズなどが繁殖していたとある。その場所(旧江戸川河口の大三角と呼ばれていた州)こそ、現在、ディズニーランドが建つ舞浜地区だ。

 立や工場廃液による水質汚染が進み、浦安の漁師さんたちが漁業権を全面放棄したのは昭和46年のこと。けれど、浦安は大企業の工場を誘致したほかの沿岸市町とはちがって、ディズニーランドを誘致し、観光・学園都市をめざしたのだった。

 安の海には、もはや自然浜は見当たらず、テトラ護岸が続いていたが、たしかに殺風景な工場は目につかず、大きな船に出くわすこともなく、舞浜沖にはボンギ(釣舟の目印)が立ち、逗子マリーナや八景島のあたりのような雰囲気だった。『青べか物語』の主人公は、べか舟で海に出て、横になって本を読んだり、昼寝しながら浅瀬を漂ったりするのだが、海上にはそんなのどかさが今も健在だった。

 念ながら、あまり視界はよくなくて、三浦半島も房総半島もほとんど見えなかった。はるか沖合に大小の船舶が15艇ほど。沿岸を航行してたのは小型クルーザー1艇だけだったように思う。ディズニーランドのアトラクション設備はリアルなだけに、火山の噴煙やら花火やら、可笑しい。ワタシ的にはディズニーシーでゴンドラ舟に乗るより、木造べか舟(海苔養殖用の小舟)で浦安の海と川を1周させてほしいな。

 て、浦安東部にさしかかると、潮が引き始めたのと東風がやや強まったのとで、海面がざわついてきた。ようやく達した北東端には横波が次々寄せていた。ここを岸ぞいに北西に進むと、水路を経て行徳野鳥の楽園に出られるようなのだが、立入禁止かもしれないし、上陸できるかもさだかでない。日も傾いていたので、船橋まで最短距離を漕ぐことにした。

 の途中には、何万本もの海苔ひび(貝の養殖用なのかも)の行列と、時おり舞い上がるスズガモたち。この三番瀬をめぐっては18世紀の天明の飢饉のころ、船橋と浦安の漁民の間で死者を出すほどの漁民闘争が繰りひろげられた。『三番瀬の歴史に学ぶ』という郷土史家のかたのHPに詳しい。

 れまで東京湾で海苔ひびを見たのは横浜野島と三番瀬だけ。いつまでもこの冬の風物詩を見たいものだ。天日干しした海苔は、工場で干したのとは比べものにならないほど美味しいそうだが、もうほとんど手に入らないという。

 苔ひびもとだえると、東風が強まり、舟は遅々たる歩みとなった。やっと江戸川河口を見つけ、緑と赤の信号灯の間を航行する入船を見てから、その後ろを横断し始めた。ややあってふと見ると、その入船の船尾だと思ってたのが、急に大きくなっている。別の出船だった。これを待てば向い風にすっかり引きもどされてしまう。猛ダッシュ。やっとこさっとこ、出船の船首がそれた。

 らに1本水路を横切り、長い突堤を回り込むと、広々と潮の引いた砂浜。これからまだまだ引くんだ。干潟のあちこちにアサリの貝殻と、直径1cmくらいの穴がボコボコ。潮干狩りタイムだった。残念至極。

 い突堤の西側に引き返し、人工岩浜から上陸。この水路もけっこう船が出入りしていて、浚渫されているのか、引き潮でも水深は十分あった。岩浜にハマシギとスズガモらしきが来ていた。干潟は彼らの餌場なのだ。明るい時間にもう1度この干潟の全貌を見に来たい。千葉島1周のスタート地はここにしよう。

 橋と浦安のともり始めた町の灯を眺めながら舟をたたむ。19:00キス釣りにやってきたという若者たちにバス停への道をたずね、三番瀬をあとにした。(おしまい)

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