2008年1月 5日 (土)

シーカヤックってなんだ?

【漕ぎレポ】1月4日(金)晴れ、12℃、南南東~南西~南東風1~2m、波高0.5m、日出6:51、日入16:41、干潮7:47、満潮12:51、若潮。

コース:横浜野島キャンプ場10:30~野島水路~海の公園~八景島1周~野島・海苔養殖場~平潟湾~野島キャンプ場13:30。

100_6658  と東京ファルトボートクラブOGの3人でツーリング。カロゴンの屋根に3艇積んだら、ファッションレールがもげそうで、久々にファルトのかわせみ丸の出番となる。

  島水路にやってくるとホンダカヌースクールの人たちがレーシング艇で本田先生の特訓を受けていた。レース上位常連のTさんの姿も。松戸杯リザルト、楽しみにしてますよ!

 日はスズガモ(今年は東京湾北部で少なく、湾南部にたくさん飛来してるらしい。多い日には野島に1,000羽来るそう)にはあまりお目にかからず、ヒドリガモとユリカモメが目立った。ピューッ、ピューッっと口笛を鳴らすようによく鳴いてるのはヒドリガモのオス。メスはガーガーとしか鳴かない。すでにカップリングが始まっていて、導流堤でお見合いしてるのがいた(左上画像)。少し離れたところで3人の男の子たちがカレイを釣りに来ていた。

 「あれはマイクがついてるんじゃない?」Fさんそうが言うほど、八景島のいろんな絶叫マシーンから発生する音声が、かなたに富士のてっぺんをのぞむ八景の新春の海に響きわたっていた。100_6669_3

  漁港に立ち寄る(右画像)。現役バリバリって感じの小型漁船がずらり。40隻は繋留されてただろうか。ここはシャコ、アナゴ、マコガレイ漁がさかんな活気あふれる漁港。「柴のシャコ」を1度食べてみたい。

  苔養殖場前で上陸して伊藤博文別荘跡へ。Tさんが突然「あそこ、野鳥バーベキューだって!」ムムッとその視線の先にある看板を見ると「野島バーベキュー」で、大笑い。

   景島一周は東京湾の潮汐に合わせて回るとラクだ。上げ潮の時間帯は反時計周り、下げ潮の時は時計周りに。遊覧船と漁船もよく出入りしているので曳き波が立つ。東京湾はとても穏やかだったが、対岸、房総半島の稜線は残念ながらかすんでいた。

100_6698_2  ャンプ場に戻って、艇の潮抜き。それから楽しみにしていたFさんの山椒鍋のはじまりはじまり。最後のお雑炊がそれは美味。そのうち日も傾いて冷えてくるから、ホットワインにジンジャー・ティーなどなど間断なく摂取。胃の中で舟が漕げるんじゃないかってほど、おなかたっぽんたっぽんになった。そばで古武道の稽古だろうか、男性が棒をふりまわしたり、トンボをきったり、櫂を漕いだりのパフォーマンス。

 て、タイトルの「シーカヤックってなんだ?」ですが、本田先生の近況を伺っていたら、「シーカヤックなんてやっててもしょうがないって、うちに(レーシング習いに)くる人が増えた」とおっしゃった。ちょっと考えてしまった。

 近はトライアスロンやオープン・ウォーター・スウィミングなども人気のようだ。競技はやることや目標が初めからハッキリしているからだろう。

 ーカヤックはその点、まったく不明瞭だ。なんとか漕げるようになってあちこちのフィールドに行けば、特にしたいことがないかぎり、数年で飽きちゃうのではないだろうか。旅とか釣りとか素潜りとか、船作りとか、仲間作りとか、ほかの楽しみやテーマがなければ、数年でやめちゃう。一時の軽い気晴らし、ってのもモチロンあって当然ですけど。

100_6696_3  にとってはシーカヤックは海の自転車にすぎない。この道具でどう遊ぶか、何をするかのは、ひとりひとりが自分で自由に創造すべきだ。それがどんなに小さなことであろうと。

 ころで、三度目の正直。この日、ついに一発で野島を脱出したのでした。 

 

 

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2007年12月18日 (火)

カナリアンは行く・野島

100_6526100_6555左:ノリの養殖場ごしに八景島をのぞむ。このあたり、海底の砂紋もアマモ場も丸見えの透明度。右:平潟湾に注ぐ侍従川を六浦から大道までこぎのぼる。中世には多くの船が行き交った川。

100_6575_2100_6536_2左:野島公園のキャンプ場に上陸。地面はケヤキの落ち葉でふっかふか。子供たちが走り回り、かくれんぼしていた。右:海の公園の沖にスズガモの群れ。1年ぶりの再会だ。仰ぎみるV字の雁行がジャポネスク。

 12月9日、朝もやのかかった紅葉の朝比奈の山を越え、野島漕ぎに出かけた。1週間遅れの漕ぎレポです。  

 島は神奈川県の海岸線の中で、私、カナリアンlarusが今一番好きなスポットだ(カナリアン→canalian→運河漕ぎ屋。ただしインチキ英語で、辞書にはのってない)。あと5~6回続けて漕ぎに行っても飽きないだろう。

 に冬がよい。これが横浜の海だろか、と驚くばかり澄んだ海にはノリひび(養殖の設備)が立ち、数百羽のスズガモが憩い、時おり空を舞って、追いつ追われつ、常緑の松林に囲まれた野島公園に上陸すれば、ふかふかの落ち葉のじゅうたんが続く。街中で落ち葉の香りに包まれるなんて。

 湾なんてカッタルイよっていう人は、野島から南の猿島を、または北の根岸湾をめざして漕ぎ出してみよう。たちまちブワ~ッと冷や汗が吹きだして、オッカナリアンになれること請け合いです。東京湾岸の速い潮流と、コンクリ護岸からの返し波にはご注意を。

 のの本にもこんなふうに書いてある。「当時(江戸時代)の東京湾は、ここ金沢の良港を過ぎれば、小柴、本牧と、断崖が海に落ち込む岬が続き、神奈川までは水夫の息をつがせぬ荒海だったのです。」『横浜・野島の海と生き物たち』(海をつくる会・編/八月書館)より

 て、9日は最新の自作ウッド艇でくりだした羽田のNobさんと、Nobさんから譲り受けたウッド艇「くじらクン」に乗りたいという山仲間M子さんの湾岸人?2名とともに10時半、野島公園キャンプ場の階段護岸からスタート。ノリ養殖場~八景島ジェットコースター下~柴漁港~海の公園沿岸~野島水路~平潟湾~侍従川遡上~野島公園キャンプ場と一周した。20キロ、4時間ほどのコースです。

 藤博文別荘あとに続く松林をバックにしたノリ養殖場。ノリヒビの南西の海面にスズガモたち(東京湾に14万羽来るそう)が休んでいたが、私たちがバウを向けると、早々に飛び立ち、海の公園沖へ。ノリひび(棒)は立てられているものの、網が張られていないのが気になった。今年は海水温が高いので、ノリの出来はよくないかもしれない。野島水路で腰まで浸かってジョレンで貝獲りする人たちがいた。その付近の浅瀬では、なまめかしいマヒトデが異常発生。

 潟湾には北から宮川、六浦川、侍従川、鷹取川と4本の小河川が流入している。かつては広大な干潟が姿を現したことだろう。今よりもっと内陸にあった六浦は鎌倉時代、江戸湾で最大の湊だった。同時に実質上、鎌倉の外港であり、六浦で陸揚された物資は朝比奈切通しを越えて鎌倉に運びこまれた。侍従川には唐や宋の船ものぼってきたという。

 の川は全長3キロ、鎌倉アルプス東端、朝比奈の山を分水嶺としてその東の谷から平潟湾まで流れている。一方、朝比奈の西の谷から南西に流れて鎌倉由比ガ浜に流入するのが滑川だから、ふたつの川は兄弟川のようなもんだ。市民の手でずいぶんクリーンアップされているとも聞く。

 んなこんなで、侍従川を行けるところまで漕ぎ上ってみたいと思っていた。でも何のヘンテツもない都市河川だから、おふたりの湾岸人をつきあわせては申し訳ないと思い、先にキャンプ場に戻っていてもらった。滑川に比べたらずいぶん漕ぎのぼることができた。大道小学校からさらに橋三つぶん漕ぐと、ドドドッとスズメの大群が飛び立つ葦の両岸が現れたが、川底の石も露出しはじめたので遡行中止。中流部では漁礁にする実験中だという葦束が沈められていた。水は澄んでいるものの魚影はほとんどなし。スズガモ数羽が中流まで入っていた。

 人を追ってシャカリキに漕ぎ、午後2時、キャンプ場帰着。(Nobさん、M子さん、大変お待たせしてすみませんでしたあ。)野島公園内はテントサイトとバーバキュ炉のそばでしか火が使用できない(浜は管轄外)ので、テントひと張り予約しておいた。なんでも放り込むチーズフォンデュと(おせんべいがgoodです)と、トムヤンクン・パスタ鍋で腹ペコをあっという間にオーバー・リチャージしたが、その多くは野島脱出劇でかなり消費された。Nob車とlarus車のどちらが先導してもなかなか野島を脱出できず、もう腹筋がわなわなと震えてしまった。

 島貝塚(縄文時代)、六浦(中世の湊)、金沢八景(江戸時代の景勝地)、野島の戦争遺跡・金沢地先の埋め立て(昭和)、人工島八景島の造成(平成)などなど。歴史散歩をしたり、都市部の自然の変遷をみるのに、野島は興味のつきない場所だと思う。

 ゼ釣りのお道具も持って、再訪したい。

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2006年12月11日 (月)

横浜港~鶴見川遡上④ほんとにワースト3?

101_2424101_2427上左:京浜急行。右:京浜東北線。

101_2440_1101_2443上左:東海道新幹線。右:東横線。

(12月5日漕ぎレポ)

 タンゴトン、ガタンゴトン! 轟音たてて頭上をよこぎる銀色の長い物体を見上げて西玉夫は思った。「あれこそリュウグウノツカイ、ナゾの深海魚にちがいない、ナ~ンテ。じつを言えば、ぼくはもう知っている。あのなかにはヒトという生きものがたくさん乗っている。右往左往、東へ西へ、大いそがしの生きものさ。」

 子川に長く滞在したタマちゃんはその渦中、横浜市西区の住民として登録され、「西玉夫」なるちょっとさえない名前をつけられた。新幹線はlarusの目には逃げ足速いドジョウのように見えなくもなかった。当地は明治5年(1872年)日本で初めて鉄道が走った(汐留~桜木町)区間なので、にわか鉄道少年になり、トレイン・ウォッチした。乗りなれた電車を川面から見上げるのは、学芸会のわが子を見るよな心境か。

 て、鶴見川といえば、昔は氾濫する川、今は汚染度ワースト3の川(一級河川のなかで)、のイメージだが、冬のこの時期はさほど汚くも臭くもない。とは言え、パドリングの飛沫が口の中にとびこんでくると、ぺッと吐きださずにはいられなかった(朝、起きぬけの口中の雑菌の数は、ひとにぎりの雲古にふくまれる細菌に匹敵するというから、目クソ鼻クソを笑う、なのかもしれないが)。

 流は両岸びっちりコンクリ護岸で、人工的な水路を行く感じだが、スズガモ(日中は水面でもっぱらうつらうつらしてるらしい)と、カワウ、ユリカモメの群れが入れ代り立ち代り現れ、「捨てたもんじゃないよ、鶴見川」とアピールするのだった。

 の所在をチェックしてこなかったので、もし堰があらわれ、両岸もとりつけないとなるとそこで遡行中止となる。けれど末吉のあたりから橋のたもとは、たいてい泥が露出した堤になっていて上陸&ポーテージ可能だった。

 時に、左岸の斜面は冬なのに青々とした芝生になり、桜並木の紅葉にふちどられる。さらに綱島の大綱橋手前からは、アシの紅葉に包まれた。ツグミが茎に揺れていた。今あわい褐色のアシは、やがて仙人のヒゲのようなアイボリーになるだろう。春がめぐってくれば若葉色、夏には濃い緑に茂る。四季おりおり模様がえする自然の川辺はいいな。

 マちゃんは新羽橋で遡上を断念した。そのあたりから川幅はせばまり4mくらい。下水処理場からザーザー落ちてくるちょっと緑っぽい滝を見なかったことにして漕ぎ進むと両岸泥壁の草地となる。直径3cmほどの穴がいたるところに。カニかな、カワセミの巣かな・・・ 噂をすれば影である。左岸からメタリックな翡翠のつぶてがlarusの期待に応えてツツーと飛んでくれた。ありがとね!

 川が右に大きくカーブすると、なんと瀬が現れた。流芯をさけて漕ぎ上る。亀の甲橋下は泥岩の岩盤が露出し、2~3級の瀬になっている。右手をライニングダウン。さらに数十メートル漕ぎのぼったが、再び瀬が現れ、前方を見やれば1mほどの堰(小机堰)。鴨居まで行くつもりだったが、あっさり断念。ゆうゆうと川筋を舞うハヤブサ?を見ながら、亀の甲橋まで下った。14:30上陸。ひっそりとした小舟のゴールを、いくつもの大歓声のゴールを見てきた横浜国際総合競技場(日産サッカースタジアム)が見下ろしていた。

 手の手すりわきで艇をばらしていると、サイクリングのご夫婦に話しかけられる。レーシングの選手でいらしたそう。本田先生の先輩なのだった。奥利根湖でカヤックを積んだ車に放火されて以来、カヌーから遠ざかられたと伺う。なんという災難だろう。Oさん、ぜひ三浦の海に遊びに来てくださいね。カワセミ丸をおぶって、教えられた北新横浜駅(地下鉄)に向った。

 「幸福な家庭は似かよっているが、不幸な家庭はみなそれぞれに趣きがちがう」とロシアの文豪トルストイは言ったが、こうも言えないだろうか。「清流はみな似かよっているが、汚い川はそれぞれに趣きがちがう」

 ヤッカーにとって「汚い川」とはロール練習したくない川だ。鶴見川の水質汚染は主に家庭の雑排水の流入が原因だという。浄化やクリーンアップ、自然保護の取り組みやレーシングカヌーも行われていているようで、釣り人もとても多かった。15km下れるので、もう少し水質がよくなり、下流部の護岸も緑化されたら、気持ちいいツーリングゲレンデにもなるだろう。(おしまい)

101_2420101_2430上左:生麦の貝殻河岸(生麦には昔、魚河岸があり、ここに貝殻を捨てた)。右:中流のスズガモ(要クリック拡大)。

101_2448101_2459上左:新羽のあたり。右:亀の甲橋下の瀬。

101_2478101_2471上左:土手のアカツメクサとモグラの盛り土。右:堤の右側が鶴見川本流のアシ原、左側が遊水地。       

 

 

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横浜港~鶴見川遡上③入江川・明治の漁村は今

101_2403101_2406_1上左:鈴繁埠頭の米軍ドッグ。右:入江川第二派川と高速横羽線(子安のあたり) 。

101_2408101_2409上左:入江川にて古いレンガ造りの橋脚。右:漁師小屋と朽ちた廃船。

101_2412101_2414上左:おこぼれをねらううカワウ(腰に白い婚姻色が出ている)。右:大黒運河から後方に見える大黒橋をくぐれば鶴見川だ。

(12月5日漕ぎレポ)

 浜港から、湾北部の鈴繁埠頭にかかる瑞穂橋に向った。橋のたもとに米軍の輸送施設がある。履物のポックリのような形状の船が5~6艇、見える。人気がないから撮影したが、米軍の監視カメラにハタ坊が写ってるかもしれない。今のところ出頭命令は来てない。

 とはもう鶴見川まで一路、運河漕ぎなのだが、約7kmの静水漕ぎはちょっとしんどい。入江川第二派川といういちばん北西の運河に入ってみると、川岸の家はみな川を向いているではないか。けれど運河の右半分には高速道路が覆いかぶさり、水面に明暗を分けている。映画にもなった宮本輝の小説「泥の河」を思い出させる隠微な空間だ。

 河はやがて釣り船や座敷舟などの舟だまりとなり、漁師小屋が現れ、漁から戻ったばかりの漁師さんがいて、その前でカワウがギャーギャー騒いで路上のカラスのようにおこぼれを狙っているのだった。

 こは明治末期まで、遠浅の砂浜に松林が点在する漁村だった。埋立てが進み、子安の漁業は昭和48年に完全に終わった。その後、少数の漁師さんたちがここに戻ってきて東京湾で漁をしている。東京湾は地味だが、関東の一大漁場である。

 江川が行き止まりになったので、引き返し、南の恵比寿運河を経て大黒運河に入った。恵比寿町、大黒町、宝町など埋立地の地名はめでたい故事に由来し、鈴繁町、山内町、守屋町などは埋立てた人の名前だそうだ。

 比寿から大黒運河の境目でボットン便所の芳香がしたが、あとはさほど臭くない。視認フラッグは背中から抜いてデッキにとめた。この両運河では航行する船に出会わなかった。航行してたのは私と1羽のカワウだけだった。カワウは先行して泳ぎ、漁をしていた。ある時は潜水後、私の舟のまん前にぬっと現れ、大あわてで飛び去った。

 のあたりは燃料タンクや工場が多く、人工的な曲線と直線のおりなす無機的な風景が続く。あらゆるものに美しさを見出した、今は亡きF先生(デッサンの手ほどきを受けた)を思い出した。ケン玉や自転車や三輪車など人工物のデッサン、苦手だった。最後にいただいた年賀状には瓦屋根にのった羽つきの羽が端正に描かれていた。男性の眼のほうが立体把握が得意なんだよなあ・・・

 い出にふけっていると、正面に大黒橋が見え、そして運河が明るくなってきた。左手に建つ旭硝子物流センターの真っ白な建物と、その前に係留されている白いクルーザーのせいだった。大黒橋をくぐり川幅約200mの鶴見川に漕ぎ出ると、先行していたカワウが「じゃあな!」と高らかに舞い上がった。彼は下流へ、私は上流へ。

 刻は10:45、干潮タイム。鶴見川はすでに上げ潮に転じていて、カワセミ丸をぐんぐん押してくれた。なんというグッドタイミンング!(つづく)

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2006年12月10日 (日)

横浜港~鶴見川遡上②なるほど・ザ・帷子川

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101_2361_2上左:コスモワールドにかかる汽車道のトラス橋(明治時代の遺構)。右:さかさランドマークタワー。

101_2366_4101_2368_2上左:ぷかり桟橋。右:沿岸警備艇が控えているのでベイブリッジ方面はパス。

101_2389101_2396上左:帷子川河口にわずかに残されたオアシス。右:シーバス発着所。新田間川と帷子川の合流地点。

(12月5日漕ぎレポ)

 浜港の日の出。それはここにモネかターナーがいたらなあと思わせる光景だった。刻々と色調のうつろってゆく朝焼けの空と水面をながめながらファルトを組んでいると、出発は8時をすぎてしまった。離岸直前に、グニャっとサングラスを踏みつけてしまう。ゆがんだフレームを直して、なんとか鼻の上にのせる(結局、鶴見川に献上することになったのだが)。

 の日のお供はフェザークラフト・Kライトのカワセミ丸。詰め替え大作戦(しょいやすいフジタ艇のザックに詰め替えた)で家からかついで電車でやってきた。船舶の多い東京湾漕ぎは視認フラッグ必携と思うのだが、ファルトにどうやって旗たてようか思案してたところ、友人に背中に差せばいいじゃんと言われる。その手があったね、沈してひっかかったらこわいけど。早速、PFDのウエスト内側に筒状のポケットを、えり首にループをつけて、ポールをそこに差した。ハタ坊(赤塚不二夫の)かチンドン屋か。こんなバカな格好できて、楽しいよお。

 タ坊を乗せたカワセミ丸は、たっぷんたっぷん波が寄せてくる臨海パークの階段状の渚を漕ぎ進んだ。横浜港は立派な海なのだった。見慣れたみなとみらいの巨大なビル群がそのシルエットを変えてゆく。建設中の高層ビルが5本。どうせならガウディみたいな面白いのを建てようよ。

 央卸売市場を右に見て、滝野川を東へ。するとスズガモとハシビロガモだろうか、海ガモたちがポツポツと運河に漂っている。やっぱりね!(スズガモは江戸川河口の行徳には4万羽もやってくる)。海ガモたちは警戒心が強く、ハタ坊が近づくと、水面をけって飛び立つが、すぐに着水する。運河を左折すると、今度はユリカモメが水路の中央に集まっていた。

 れど、なんだか行き止まりのような気がして、引き返し、帷子川(かたびらがわ)をのぞきに西進する。JR貨物線の鉄橋下の暗がりをくぐり抜けると、すぐ頭上で真っ白なブーメランが乱舞した。ひとしきり舞ったユリカモメたちは橋の手すりに一列に並んだ。ほどなく左手に、木立ちとそれが水面に落とした深い影。

 「タマちゃん・・・ ここは面白いとこだねえ。君が帷子川に遡上してきたキモチが分かるよ。」つぶやくハタ坊。開発の手がすぐそこまで伸びている。木立はいつまで残っていることか。

 らに漕ぎ進んで、みなとみらい大橋をくぐると、運河は正面の「横浜そごう」をはさんで、右が新田間川、左が帷子川とふた手に分かれる(ふたつの運河は西平沼で再び出会う)。帷子川河口にはスズガモが100羽近く憩っていた。シーバス発着所付近はひときわ明るくはなやかで、タマちゃんだって人魚姫だってハタ坊だって、きっとあなただって「どんな世界なのかしらん、もっと行ってみよう」と思うだろう。ここは都市が水辺に背を向けてない貴重な一角である。

 けどハタ坊は年内に多摩川まで到達し、神奈川県の全海岸線をざっとひと通り漕破したかった。それにはこの日、どうしても鶴見川まで行かないと。

 浜港と帷子川はお正月の初漕ぎにでもとっておくことにして、神奈川区の鈴繁埠頭にかかる瑞穂橋をくぐり北東に進んだ。横羽線と平行する運河には漁師小屋と漁船が並び、カワウが集まり、高速道路の支柱に大きなカキがびっしりとついていた。都市と自然が交錯する不思議な空間である。(つづく)

                                                  

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2006年12月 5日 (火)

横浜港~鶴見川遡上①あらまし

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左:みなとみらい汽車道から望む日の出、右:観覧車の壮麗なお見送りをうけて出発。

12月5日(火)晴れ、気温11℃、北→南東風3→2m、波高0.5→1m、日出6:35、日入16:28、干潮10:47、満潮16:05、大潮。

コース:みなとみらいコスモワールド8:30~鶴見川下流生麦10:45~綱島・大綱橋12:50~新横浜・亀の甲橋14:00、航行約25km。

 浜港漕ぎは被写体の宝庫ですね。いつか再訪し、1日かけていろんなアングルで撮影したいと思います。帷子川を少しだけのぞいてから、高速横羽線と平行する運河を通って鶴見川へ。新横浜まで終始、カワウ、ユリカモメ、スズガモが憩い、飛び交い、魚をとっていました。こんなに鳥を見ながら漕ぎ続けたことはありません。鶴見川はその名の通り、鳥たちの川なのでした。また、綱島から上流は川岸をレンガ色に染めたアシの草紅葉とアイボリーの綿毛がとても美しく、タマちゃんコースを堪能しました。

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2006年11月29日 (水)

横浜の海を行く④堀割川・大岡川

100_2283100_2295100_2302100_2306上段左:堀割川下流にて根岸線とカモメ、右:川面のゴミ拾いする清掃船。下段左:高速道路がおおいかぶさる中村川だが、コンクリ壁をツタがおおって緑化(このあたりでタマちゃんは目撃された)、右:設計者の遊び心が感じられる両端にアーチを設けた橋。

(11月25日漕ぎレポ)

  「かつて、よこはまの水運の重要航路であり、流域に住む人々の生活の糧ともなっていた大岡川、中村川、堀割川。これらの河川は、人々の心に『ゆとりとやすらぎを与えてくれる水空間』でした。」「川はコンクリート護岸で固められ、風情ある顔を持った橋もまた少なくなってしまいました。川面にあたる陽の光さえ遮断する高速道路がおおいかぶせられてきている。」「『かわ遊び』や『清流』を取り戻して行くため、今年も再び、よこはまのかわ・再生に挑戦します。」(第25回横浜縦断カヌーフェスティバル開催趣旨より) 

 浜縦断レースでは、ふーふー、がつがつ漕ぐだけだから、昔日の運河のやさしい面影に思いをはせることはむずかしかった。川沿いに桜並木を配した大岡川は、お花見か紅葉の時期に少人数でのんびり漕いでこそ、の運河だ。

 割川はゆっくり漕ぐと、緑化や清掃の配慮があちこちで感じられた。晩秋には異臭もない。何年間も工事中の橋はいったい完成したらどんな「風情ある」姿を見せてくれるんだろう。河口と下流では艇を陸に揚げられる場所もあった。ある橋には「Y校カヌー部は航行禁止」と大書されてた。なんでだろ?

 割川から数十メートルだけ中村川を漕ぐことになる。そこは高速道路でおおわれ薄暗い。でもじきに右折すると、運河は大岡川と名を改め、高速道路からのがれて紅葉のやわらかな暖色に包まれた。岸辺の紅葉が水面にも照り映えている。お花見にもきっと来よう。右折してから河口までは18もの橋を数える。

 から川面を見おろすおじいちゃんと孫。「あ、おふねだ!」という声に手を振るlarus。中学生くらいの女子二人組が「がんばってくださ~い!」と声をかけてくれる。土曜の午後のリラックスした時間の流れを感じる。というより、川そのものが市民に「ゆとりとやすらぎを与えている」のかもしれない。

 ール地点にいたのはユリカモメの群れ。縦断レース時にカヌーをおろした北仲橋右岸のデッキから上がれると思っていたら、大きなブイを並べて上陸拒否。

 局、さらに漕ぎ進んで、汽車道の石積みの堤に上陸。植え込みに舟の幅ほどの隙間を見つけ、そこから引き上げることにして、ひとまず中段の平らになった堤に舟をひっくり返した。ワールドポーターズの人いきれをぬって洗面所に直行、着替える。ふう・・・

   車で八景に車をとりに行き、再び汽車道にもどったのは20:30。ひえびえ~と冷たくなって横たわっている舟に、思わず「タマちゃん、寒いとこお待たせしたねえ・・・」 すっかりタマちゃんと同化したMy艇。「タマ号」なら、Eggって名前にしようかしらん。グイって曲がってくれそうな響きだ。ワールドポーターズのCake Maniaでお土産を買い、夜景に何度も足を止めつつ、Eggを引き引き港をあとにした。

 浜の海を行く~八景からみなとみらいまで~』忘れがたいツアーになるだろう。(おしまい)

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2006年11月27日 (月)

横浜の海を行く③根岸湾

100_2225_1100_2230100_2245100_2253100_2231100_2255上段左:京浜埠頭の突堤に釣り人 (一番右の白い煙突の右奥が堀割川河口だと教えてもらう)、右:やっと上陸できる岸があったよ~! 中段左:自然石の堤の北東岸は漂着ゴミのたまり場、南西岸はアサリも採れる浜。右: 満ち潮を待つタテジマイソギンチャク。下段左:プラスチックのペレットだらけ(要クリック拡大)、右:50cmのスズキねらいの釣り人がやってきた。

(11月25日漕ぎレポ) 

 岸湾はなんせ、だだっぴろい。間口、奥行きとも4km位。鎌倉稲村ガ崎から江ノ島までの距離だ。湾内には3つの大きな埠頭が突き出している。堀割川の方向を確認後、一番南の京浜埠頭(地名は鳥浜町)の突堤に着岸。自然石でできたスロープ状(ありがたや!)の堤に向って一目散に漕いだ。

 「うわぁ、やっとひなたぼっこできるぅ!」ってタマちゃんもここに上陸したかもしれない。そしたら湾北岸の真っ白なコンビナート群はふるさとの氷山に見えたことだろう。地図でこのあたりの海岸線はすべて護岸されてるとわかってはいたが、実際漕いでみるとコンチクショ~!って思うくらい、どっちもこっちもそっちもあっちも垂直の護岸かテトラで、カヤックの上陸を拒んでいた。自然の岸辺はもうない。

  王子から来られたという釣りのおじさんと話す。夕まずめのスズキがお目当てだ。「根岸までは海はきれいだよ。埠頭の南側ではアサリやシッタカが採れるんだ。こんな舟(シーカヤック)初めて見たよ。どっから来たの?ワイルドだね。どこまで行くの?暗くなんないうちに早く行きなさい」

 計を見ると、もう14:00。日没は4時半だから、その1時間前には上がらないと。「ミカン弁当」を立ち食いする。これは小ぶりのミカン1個と自家製オニギリ1個だけをタッパーに詰めた1分で作れる漕ぎ用ランチ。まずミカンでからからになったノドを潤し、酸味でリフレッシュしたあと、漕ぎが苦しくならないようオニギリ1個のみ食す。テルモスにあったかい緑茶もつめてきた。とにかくコンビニ飯はゴミを出すので、極力買わないと決めた。突堤北東岸のペットボトルほか漂着ゴミの山と、最後の最後まで消滅しないプラスチックのペレットを見て、その思いを強める。

 宝探しもできそうだったが、時間なし。ゴミのそばのわずかの砂地にツルナが生え、堤の石の隙間にはタテジマイソギンチャクが一列に並んでいた。三浦半島南部だったらいたるところにいるヨロイイソギンチャク(砂粒を鎧のように体表につけている)は見当たらず。もしここに進出したらカラフルなペレットをヨロイにつけるかな。

 然石の突堤はとても気に入った。コンクリやテトラに比べ、ずいぶんお金かかってると思う。なぜ自然石なのか、気になる。海鳥のフンのあとはなかったから、鳥たちには人気なさそうだ。沖の海面にウミウ1羽。カモメ2~3羽。この日の房総半島はうすぼんやり。

 「ひっくりかえらないように!」並木から来た別の釣り人に見送られて離岸。横浜の釣り人たちは、江ノ島の「あっちいけ~っ!」とどなる釣り人たちとはちがい、みなさん、いたって紳士で親切なのだった。堀割川河口までは船舶ウォッチング。見たことないいろんな作業船が出入り、停泊している。大型タンカーやヨット「そらとぶあひる」号も航行。

 杉田の埠頭から何を運んでるのか、ノアの箱舟みたいなイルカ・マークのタンカーが静々と出港中。私の舟と比べたら、ゾウとありんこだ。あんなバカでかいのも必要なら、風をうけてくるくる回ってる帆かけ舟もいれば、ちっぽけな手漕ぎ舟もいれば、ホモ・サピエンスの嗜好とニーズは多様である。と、その時。

 「ヴォ~~~~~~」

 りんこ船頭はとびあがった。汽笛一発、ゾウぶねが湾の外へ出ていくところだった。タマちゃんもまぢかに聞く汽笛には驚いただろう。彼(当時2歳のオス)が出没した川は次のとおりです(ネット百科ウィキペディアより)。

 摩川(2002年8/7~17)→鶴見川(8/25~30)→帷子川(9/12~13)→4 大岡川(9/15~24)→帷子川(9/29~2003年3/14)→中川(4/20~23)→荒川(4/30~7月)

 獣の旅した水辺をずうっとたどってみたい。(つづく)

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上段左:根岸湾最大のランドマーク、火力発電所、この右奥へ漕ぎ進む。右:出港するゾウぶね。下段左:「第八正真丸は16番へ~!」のアナウンスで進む入船。右:堀割川河口でマリーナに帰る「そらとぶあひる」号を見送る。

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2006年11月26日 (日)

横浜の海を行く②金沢八景

100_2187100_2189100_2195100_2198100_2205100_2215上段左:信号待ちの鎌倉鶴岡会館前で、右:金沢八景・海の公園の松林。中段左:漂着したアオサの山、右:透明な浅瀬。下段左:オオバンか?! 右:八景島の北側からいざ東京湾へ。

(11月25日漕ぎレポ)

 葉の鎌倉を朝比奈に抜ければ、金沢八景・六浦は目と鼻の先だ。このルートはかつて鎌倉に物資を運び込んだ「塩の道」。朝比奈切通しの路傍には「塩なめ地蔵」が立っている。往路にお供えした塩が、帰路にはなくなっていたというのがそのいわれ。わず30分で面白カヌー・ゲレンデに到着。

 の公園パーキングは午前4:00から午後10:00まで。1日停めれば1500円。今日は上がりの時間を気にしないですむ。お日がらもいいのか、途中、白無垢の花嫁さんと遭遇。「高砂や~」は長生きした松の故事を題材にしてる。金沢八景の若松もいく久しく青々としてますように。

 浜に降りると、ぷ~んとノリの匂い。悪臭ではない。ショベルカーが「アオサかき」をして、松林よりも団地よりも高いアオサ山を築いていた。横浜市は年間千トンのアオサを回収していると聞く。アオサは海の浄化もするが、ほかの生物の生活圏を奪いもする。採取してもふりかけ位にしかならないので、あちこちの浜で手を焼いている。アオサとホソジュズダマ(よく金魚鉢に入れる藻みたいな緑藻)まみれになって出漕。

 さな寄せ波を2つほどこえると、あれま、アオサ沼はクリスタルのように透明になった。砂底に私の影法師が落ちている。まさかこんなにきれいだとはね。アオサ沼にいらずんば、透明な海を得ず。樽型の大きなブイに「魚のゆりかご、アマモ場を大切に。移植をしていますウンヌン」という柴漁協の看板が揺れている。光合成をするアマモは澄んだ海でないと育たないのだ。

 岸沖でウィンドサーフィンがするすると行きかっているのをよけて、人工の八景島へ。埠頭の横に海ガモ1羽。全身真っ黒で、おでこからくちばしだけ薄ピンクの、ちょっと不気味なオオバンというカモのよう。オオバンの尻をおいかけるオバン1名(もちろんlarusのこと)。帰宅後、画像を拡大してみるとクロガモか。オオバンの特徴は頭を前後に振りながら泳ぐとこなのだが、それが見られなかったし、湖沼の鳥だった。

 の湾口では首の長い白っぽい水鳥が潜水した。カンムリカイツブリか?? 直後にウミウが飛ぶ。東京湾の運河ではいたるところ冬鳥たちが休息しているのではないかと思ってたが、かなり期待できそうだ。漕ぐ手に弾みがつく。

 景島の対岸、北奥にある柴漁港はヨットハーバーのように明るい雰囲気。ここではアナゴ、シャコ、マコガレイ漁がさかんだ。

 年手にしたビックリ本に、「横浜・野島の海と生きものたち」(海をつくる会・編、八月書館、1995年)がある。学者と市民活動家、漁業者の共著だが、中でも柴漁港の漁師さんで横浜市漁協理事(当時)小山紀雄さんの話が聞き書きスタイルでとても面白い。横浜の漁師さんは外見も中身もスマートでカッコイイのだ。みなさん、ぜひご一読あれ。

 かの漁師さんによれば、東京湾ではさえぎるもののない南風と、冬の西風がコワイという。西風は凪いでいたのが急に荒れ、瞬間風速30になるとか。この日の横浜は北東風3mの予報。沈してもオン・ショアだ。

 景島の北側の水路はせまいせいか、そして浅いのか、波がどんどん高くなり、船はドスン、バタンいいはじめる。前方で2人乗りの手漕ぎボートも踊っている。今日もまたダンス教室か、やれやれ。結局、レッスンは小休止1回で、1時間半続いたのだった。

 は弱いが、コンクリ護岸で波が吸収されない。また並木沖にはイガイ根、蛸根という南北につながる長い根があるので、その影響もあるのだろう。ものすごく潮に押される場所もあった。とにかく波と潮が微妙に変化し、面白いといえば面白く、気が抜けないといえば気が抜けない。

 船が来たら、できるだけ遠まきにする。「あれあれ、あの舟、ひっくり返るんじゃないかぁ? 面倒なことには巻きこまれたくないぞ」って、きっと思われてるだろう。だから、ビシバシ、よそ見せずパワフルに漕ぐ。 

 きたらベイブリッジをくぐってみなとみらいへ、と考えていたが、集中力が切れそうだったので根岸湾へエスケープすることに。揺れでデッキの地図は見てられない。迷って遠回りもしたくないから、突堤の釣り人に向って叫んだ。

 「すみませ~んっ! 堀割川の河口って、どこですかぁ?」

 裏に東京湾に迷いこんだ口のきけないアゴヒゲアザラシの姿がよぎった。(つづく)

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2006年11月25日 (土)

横浜の海を行く①あらまし

11月25日(土)晴れ、気温13℃、東北東風3~5m、波高0.5m、中潮、満潮8:23、干潮13:19、日出6:26、日入16:30。

コース:金沢八景・海の公園11:40~根岸湾・鳥浜13:15着14:00発~堀割川河口14:30~大岡川~みなとみらい15:40。航行約18km。

 はり返し波がきついけれど、まだまだきれいな海と、桜の紅葉に彩られた運河と、みなとみらいの冬の冴えた夜景を堪能しました。独りで漕ぐ運河は、横浜縦断レースの時の2~3倍の川幅に感じられました。舷側を紅や橙色の桜の葉が流れてゆき、一瞬ヨーロッパの都市河川?と思うほど、しっとりした秋色に包まれ感動しました。詳細は明日に。

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2006年10月22日 (日)

横浜運河レース開催

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 「みがえれ運河! 横浜縦断カヌーフェスティバル」も今年で第25回。

 の大会はレーシング艇(オープンデッキ&カヤックタイプ)、ワイルドウォーター艇、シーカヤック艇、スラローム艇、ポロ、ファルト、カナディアンとあらゆるタイプの艇が一堂に会するので、艇を見ているだけで楽しい大会です。

 larusは横浜ファルトボートクラブの吉岡嶺二さんを介して知り合った湘南シーカヤッククラブの方たちとタンデム艇で参加。本来はヨットマンのグループで、目の不自由な方たちも活発に活動なさっています。今回、larusと組んでくださったSさんは指先に目をお持ちです。艇の改造、修理、ヨットの艤装etcなんて朝飯前なのです。根っからのseamanとお見受けします。ヨットの世界は歴史も古く、後発のカヌーとは違うカルチャーを感じます。またヨットウーマンは気風がイイ!

 て、レースのほうですが、海猿さんとのデッドヒートで力を引き出していただきました。kuboyoさんとDaiちゃん、ありがとね! あ、それからレースにおける我が師、CARTのMARU監督とも久しぶりにお目にかかれ、うれしい1日でした。

 後に大会主催者への提案。この大会は障害物競漕とか、パン食いとか、ロール1回転しなきゃだめとか、バック漕ぎとか、なんかそんな色モノ・レースにしてはいかがでしょう。

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2006年2月24日 (金)

現代「金沢八景」

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173_7387_1174_7402_2Photo173_7399173_7394173_7400173_7398上段:夏島、野島の格納庫、野島公園。中段:海の公園より野島遠望、広重の「金沢八景・平潟落雁」、潮干狩りの人たち。下段:伊藤博文別邸、マヒトデ、称名寺

 月19日、かねてよりカヌーで巡ろうと思っていた金沢八景・野島周辺を陸路、散策。夏島貝塚~野島(公園・博文別邸・展望台)~金沢文庫・称名寺~海の公園~八景島シーパラダイスと歩いた。広重の「金沢八景」にちなんで8画像選んでみた。

 島貝塚は日本最古の土器が発掘された(縄文時代早期、約9,500年前)世界的に有名な遺跡。国指定重要文化財だ。日産のテストコースと隣接した鬱蒼とした照葉樹林の森。そのふもとには旧海軍の格納庫が今も見え隠れしている。森の頂に眠っていた貝塚は1950年代に発掘調査が行われた。

 島公園のキャンプ場はマツが美しく、岸辺ではユリカモメ、オナガガモ、ヒドリガモが餌をとっていた。野島の北東側では巨大な格納庫がぱっくり怪獣のような口を開けている。この一帯は第二次大戦まで海軍基地だった。ハバノリの付着した岸辺をたどっていくと伊藤博文の別荘。そこからの眺めはかつては広重描く世界だったのだろうが、今は水平線上にシーパラダイスのメタリックな世界が出現している。

 れでも海の公園には昔と変わらぬ潮干狩りに興じる人たちの姿が。褐色をおびた人工浜は千葉県浅間山の砂を5年間海底に置いたものを使用したそう。アサリは2cm以下はリリース、1人2キロまでとのお達しが。人間のほかにもアサリを狙っているのは10~20cmもあるマヒトデ。ごろごろ渚に転がっていた。アメフラシもたくさん打ち上がっていた。そして浅瀬ではユリカモメの群れやカルガモが憩っている。岩にはフジツボとカキがびっしり。人工浜でも生き物たちにすっかり気に入られているようだ。何より松林が育ちつつあって、のっぺらぼうの浜のほとりに住む鎌倉市民はとても羨ましいのでした。

 の公園には駐車場もあり、ここから船を出せるようです。今度は海上散歩してみよう。   

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