2006年11月10日 (金)

走水の手前で冷や水(2)

101_2011101_1979101_1983_3101_1998_1101_2016_1101_2028_1上段左:三浦海岸菊名にて、右:金田湾北部の走り水? 中段左:久里浜の3基の砲台跡、右:海ガモの寄港地、鴨居漁港より久里浜沖を臨む。下段左:三浦海岸にて大量の砂を確保してくれているイワダレソウ群落、右:セグロカモメ(中央)とウミネコ。

 、三浦半島東岸にはおびただしい数の、そして多種のカモメがやってくる。ゴムひものように伸びたり縮んだりしながら漁船を追い、金田湾沖で鳥山をつくるさまは壮観である。半島西岸では見られない光景だ。

 いうわけで、11月9日10:00三浦海岸菊名から、対岸の淡い房総半島と、右奥の雨崎につながる濃い陰影と、手前の黒々しい岩礁に囲まれた輝く濃紺の海に漕ぎ出した。ワカメ筏の横を抜けるとユリカモメ20羽ほどの群れがエサ探ししている。ほかに鳥影はほとんどなく拍子抜け。どこに行ったんだろう。鴨居漁港の海ガモに期待して北上する。下げ潮のはずなのに、潮流は北に向ってぐんぐん走っているようだ。

 こは1年前やはり南から海驢(アシカ)島をめざしたものの、強風で引き返したうえ、視認フラッグを海中に落としたMy難所。久里浜港の南に隣接する東電に近づくにつれ、追い波がかさを増し、返し波も立ち始めた。はるか前方の防波堤を見れば、白波が派手に砕けている。港からは金谷に向う東京湾フェリーが出てくる。高波と出船入船の二重恐怖。行くか戻るか、逡巡してると、前代未漕のロデオになってきた。もうターンなんてできん。

 と、昨夜見た沖縄横断ツアーの動画がよみがえる。シーカヤックはあんな波浪だって乗り越えちまった。カヤックの性能を信じるべし。パドルを振り回すこと数分。ほどなくピークはすぎて、久里浜港の入口で貨物船と漁船を見送り、追い波サーフィンを数回するとウソのように波はおさまった。

 宅後、海上保安庁のデータを見てみる。浦賀水道の三浦半島側では観音崎についで久里浜港沖の潮流が速い。9日11:00の下げ潮は観音崎で0.8ノットだから、久里浜港沖は0.8~0.5ノット位か。そこに逆風の南西風6~10m/sが吹けば高波になるのだろう。ちなみに湾口最強時の下げ潮は走水1.2ノット、観音崎1.1、浦賀0.5、久里浜港沖1.1、金田湾北部0.3、金田湾南部0.2(1972年)。久里浜港前はMy難所というより、みんなの難所なのだった。みなさん、ごぞんじでしょうけれど。港のまん前なので観音崎よりこわいです。

 代が崎、灯明崎も緑の多い美しい自然浜だが紅葉はまだまだ。浦賀ドックを囲む山もまだ緑々している。鴨居漁港にはアオサギ1羽と、潮干狩りする女性達のみ。初声の小松ケ池でも今年はカモが少ないという。数日前、北海道大沼のハクチョウの渡りが激減しているとの記事を読んだ。ちょっと気になる渡り鳥シーズン。南西風が予報より早くあげてきたので、鴨居で切り上げることにする。

 賀までバスに乗り、京急に乗り継ぎ、車を置いた三浦海岸に戻る。ウエットにカヌーシューズの風体でのどかなプチ・ローカル旅を楽しんでいると、金髪、厚化粧、短パン・ミニスカ重ね着、ルーズハイソックス、カカト踏んづけ女子高生が乗り込んできて、やっちゃん顔負けの開脚座り。珍・風体大賞はアンタに譲ろう。

 総半島がくっきり見えると、三浦半島東岸からの眺めは巨大な湖を見ているようだ。東京湾側で何かユニークな切り口でカヌーが出来ないかと考えている。

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走水の手前で冷や水(1)

11月9日(木)晴れ、気温22℃、南西風3~6m、波高1m、干潮12:43、満潮17:51、日出6:10、日入16:40、中潮。三浦海岸菊名10:00~鴨居漁港12:00。

詳細は後日。

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2006年2月 5日 (日)

船で訪ねる神奈川の岬 ②伝説の岬・旗山崎

_051_1_053_2_056_1左より、北側から望む旗山崎、走水神社、境内から暮れなずむ東京湾を望む

  月12日に訪れた伝説の舞台、旗山崎周辺のことを記しておこう。

  山崎は横須賀市東端、走水港の西に隣接する丸い小さな岬。ここに英雄ヤマトタケル伝説が残っている。ヤマトタケルは蝦夷征伐に向かう途上、古東海道をたどってこの地に至り、岬に旗を立て(「旗山崎」)、「水走る」海におどろいたと伝えられる(「走水」)。

 して上総に渡る船が荒波にもまれて往生したとき、お后のオトタチバナヒメが海中に身を投じて海神の怒りを鎮めたことは前にもふれた。その袖が流れついたのが房総「袖ヶ浦」で、亡きお后を慕って「君去らず」、ヤマトタケルがなかなか去ろうとしなかった地が「木更津」だそうだ。

 山崎南岸の砂浜に上陸すると、アシタバを手にしたおじいさんがやって来た。確証がなかったので「ここは旗山崎って呼ばれていますか」とたずねてみると、馴染みの地名ではなかった。もう採りつくされてアシタバはあまり生えていないという。漁師さんではないけれど素潜り漁の名人らしいこのおじいさんによれば、いま素潜り漁ができる漁師は2人位しかいない。走水港の入口で作業している浚渫船を眺めてつぶやいた。「あれがいたんじゃ、魚は寄りつかないね。自分で自分の首を絞めてるようなもんだ。」

 音崎まで漕ぎ戻り、船の片付けをしてから、走水神社に向かった。境内には野球少年たちの元気な声がこだましていた。祭神であるオトタチバナヒメは、はじめ旗山崎の橘神社に祭られていたが、岬が明治42年に軍用地として買上げられたため、現在の走水神社に移された。そのおり乃木希典や東郷平八郎らの呼びかけでオトタチバナヒメの歌碑が建てられる。身代わりとなって夫の命を救い、軍人の妻の鑑とされた由。立派な歌碑には古事記からこう刻まれている。

 ねさし相模の小野に燃ゆる火のほなかに立ちて問ひし君はも

 「相模で火に巻かれた時、炎の中で私の身を案じてその名を呼んだあなたよ。」海中に沈む直前にそう歌ったと聞けば哀切きわまりないが、野焼きで求婚された相模地方の娘の歌との説もある。いずれにしても情熱を象徴する炎に彩られたドラマティックな歌である。

 て、今日の走水でもドラマティックな光景が待っていた。深い闇に閉ざされていく猿島と、宝石のネックレスのように輝き始める東京湾岸。その衝撃的なまでのコントラストにあなたは何を思うだろうか。

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