2008年1月11日 (金)

大磯のハコブネ

 磯町郷土資料館に「三間っこ(みまっこ)」という木造和船があるらしい。資料館に電話してみると、それはないがハコチャンブネならありますと、ちょっと照れた感じの返事。

 コチャンブネ・・・ どんなんだろう? 1月6日、小田原に行ったついでに見てくることにした。

100_6752  れは小網代湾のアカテガニも真っ青の(青くはなんないか)、まっかっかに塗られて資料館の一番奥に鎮座していた(左画像)。普通の漁船をまっぷたつに切ったような形だ。ミヨシ(船首)と船底がまっ平だからハコブネ。

 明パネルによれば、1~2人乗りで、小釣り、はえ縄、刺し網、ワカメ、見突き、素潜り漁に使用された。小回りと安定性を求めて、こんな形をしている。内湾で海苔の養殖などに使ったあの笹の葉のような優美な形のベカ舟と比べたら、ハコチャンはいかにも海で使った無骨な小舟といった感じだ。用途のちがいを歴然と反映している。

100_6739  モテに「見習いっ子」が乗らない時には、ひっくり返りやすいので、重しの石を載せたようだ。

 コブネのほかには大きな祭り船と、30~50㎝の模型の船が展示されていた。「三間船」「機械船(電気チャカ)」「地曳船」「ハコブネ」の白木の模型だ。塗装されてなくて美しい(右画像)。

 「三間船」はオモテ、ドウノマ、トモの3パーツから成り、「みまっこう」とか「オモシロ丸」とも呼ばれた。2~3人乗りで、キス漁の船として「もっとも漁のある船」だった(左下画像)。

 磯では昭和の初めまでブリ漁が盛んだった。100人の乗子が9艘の船に分乗して繰り出したこともあったそうだ。マグロ・カツオ漁も行われていた。今、漁に出る船は多くが遊魚船となってしまった。

100_6738  ころで、油壺・荒井浜~城ヶ島の遊覧船が、客不足と維持費の高騰で昨年12月で姿を消した。このニュースを教えられた翌日、東京江東区の「和船友の会」の会長さんからこんな年賀状をいただいた。

 「初漕ぎに明けて、漕ぎ納めに終わった一年でした。毎週一回の乗船者だけでも、年間4千名を越える盛況ぶりでした。また撮影・取材だけでも、3月にNHKの「水の三都物語」、テレビ朝日の「やじうまプラス」、4月に「小説現代」の「山本一力・深川を歩く」、(中略)、9月から松竹の「カムイ外伝」出演者に櫓漕ぎ指導を12月までにのべ101名と、10月に「大人の休日」の「鬼平と歩く隅田川下町散歩」、(中略)、とお蔭様で、病気にも見放され、健やかに一年を過すことができました。」

 の明暗。復元和船を三浦の観光の目玉にもできないものでしょうか。 

(画像掲載については大磯町郷土資料館に許可申請しました。)

  

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2007年8月13日 (月)

ベカ舟を作る

100_5424 田区立郷土博物館で買ったペーパークラフトのベカ舟を作った。

 安郷土博物館の屋外に展示されているベカ舟を見たとき、端整な小舟だなあと思ったけれど、このペーパークラフトもまさに笹舟のようなほっそりした形をしている。

 戸時代から一人乗りの海苔作業船として使用され、「テンマ」、「海苔採り伝馬」などとも呼ばれた。実物は全長約4.5m、幅0.9m。厚さ2cm強の杉材で作られていた。

 登の旅の記録を、すでにアップした旅先からの短い投稿の下に加筆し始めました。ご興味ありましたらお読み下さい。

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2007年7月23日 (月)

吾作さ~ん!

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  週、皆さんもどこかでお聞きになったかもしれませんが、カヌーの大先輩F隊長が朝日新聞から、逗子のKenjiroさんが読売新聞HPから耳寄りなニュースを教えてくれました。

 渡で観光用たらい舟を漕いでいる20代の女性たち3人が、佐渡の小木から対岸の柏崎まで約60㎞をほぼ24時間かけて横断したのです。う~ん、快挙です!

 らい舟(1.4×1.8m)だったら横になって仮眠することもできたでしょうに、一人の女性は「夜は眠気との戦いでした。お光さんの愛情の深さを知りました」と語ったそうです。

 光さんというのは伝説の悲恋話「佐渡情話」の主人公で、柏崎の恋人・吾作さんに会いに、たらい舟で海を渡ったんだとか。

 性諸君、あなたが吾作さんだったら、ウレシ~イ? それとも、コワ~イ?

 隻の柏崎到着は14日の朝。2日後の午前10時すぎ、マグニチュード6.6の大地震が上中越を襲いました。柏崎は震度6強。このイベントの関係者の方々は無事だったでしょうか。被災した方々の夏の避難所暮らしは、さぞ不自由だろうと察します。

 も、こんな話を思い出しました。「新潟では杉と男の子は育たない。女性がなんでもやってしまうから、男はそれを見ているだけで、しっかりした男が育たなくなる」(『おんなの県民性』矢野信一・光文社新書から)。被災地の皆さん、お光さんパワーで頑張ってください!

 東でも大地震の日に備えないと、またツーリング中の地震対策を講じておかなくてはと、感じている今日この頃。

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2007年6月 8日 (金)

櫓船いろいろ

101_3936_1  江八幡の水郷めぐりの船頭さんは、東京「和船友の会」の江戸和船より、短く太い櫓を速いピッチで漕いでいた。パンだねでもこねるような感じで。

 なり年配の船頭さん、休むことなく手を動かしながらガイドする。「あれは柳、今にたくさん真っ白な花が咲く。こっちの細い柳は柳行李を作った柳。去年はNHKの『功名が辻』のロケが毎日のようにこのあたりに撮影に来てたよ」

 のピンクのFRPの舟がもし木造和船だったら、葦原に見え隠れするその姿は、一幅の日本画になるだろう。

 頭さんに八幡堀への道すじをたずねると、「こう行って、ああ行ったら、こうなってるから、あとはそこで聞きなさい。こっちのガイドもあっちのガイドもせにゃならんで、ワタシも忙しい」とお客さんたちを笑わせた。

100_3195_2 東京「和船友の会」の櫓はとにかく長い。途中で「へ」の字についであるのは、船頭さんが握る場所を胸の高さにするためだ。テコの原理でいえば、支点と作用点の距離が長いほうが推進力を得られる。

 江八幡の水郷はくねくねしたところもあるから短い櫓のほうが便利だし、ハイスピードで進む必要もないのだろう。

 ヌーになぜ櫓船はないんだろ? でも今にきっと作る人が現れるのでは、と思っていたら、やっぱりいた。

 崎レースにそんな舟が現れた。自作櫓漕ぎ双胴船だ。前に櫂が、後ろに櫓がついている。画像では座って櫂を漕いでいるが、このあと立ち上がって漕いでみせてくれた。すごいハイスピードだった。いろいろお話を聞いてみればよかった。

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2007年3月27日 (火)

たらい舟を復元したい人、募集

 もっとも小さな和船、たらい舟を復元して、湘南三浦・房総・東京湾岸の海に浮かべてみたいと思います。

  ご興味のある方は連絡されたし。

 

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2007年3月22日 (木)

ダグラス・ブルックス氏のこと

100_3195 日は衝撃を受けてしまった。

 「和船友の会」についてのレポートをまとめようと思い、この会で使用している猪牙船(ちょきぶね・画像は別の船)を東京の船大工さんとともに復元したダグラス・ブルックスさんのことを調べていた。

 は日本人が自分でやるべきことを実践しているアメリカのボート・ビルダーだった。和船に魅せられ、船大工の技術が消滅しつつあるのを知ると(後継者がいない上、和船には設計図がない)、日本各地の船大工さんに弟子入りして、一緒に船を造り、製造法を記録してきた。

 れまでに約100種の和船を調査し、たらい舟(新潟)、しまいはぎ(青森)、べか舟(浦安)、伝馬船・猪牙船(東京)を実際に製作した。『佐渡のたらい舟~職人の技法』(鼓童叢書1/2003)という著書も翻訳出版されている。表紙写真からは木の香りが漂ってくるようだ。そして「和船友の会」の猪牙船(製作費300万円弱)は、東アジア研究を支援するアメリカの財団Freeman Foundationから資金を得て造られ、江東区に寄贈されたものだった。

 メリカの資金で、アメリカ人の手によって、日本の消えゆく伝統の継承が行なわれているのだ。

 本の船大工さんについては「全国の個人船大工存在確認調査」(東海水産科学協会、http://nippon.zaidan.info/jigyo/2002/0000000281/jigyo_info.html)に詳しい。

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