2007年8月 7日 (火)

能登の旅(3)

能登の旅(3)
珠洲市のかつての湯治場に建てられた隠れ宿です。柴犬クウちゃんのおでむかえを受けました。美しいきなりのカヤがつられた寝所はお姫様気分。陰翳礼讃の宿でした。浴槽は輪島塗り。やや白濁したお湯に浸かっていると、うしお汁の具(骨付き肉)になり、これから怪物に喰われそうな感じを味える和風ファンタジ−湯です。

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 附島から車で北へ10分足らず、廃線になった能登鉄道のレール跡を横切ると、田んぼが開け、片隅には上戸駅がぽつりと残っている。宝立山に向って西進。杉木立をすり抜けると、カエデのアーチの向こうに「さか本」さんの宿がひっそりとたたずんでいた。駐車場までトコトコと柴の老犬がお迎えに出てきた。

 関の白い暖簾をくぐると、ほの暗い中、左手にかまどが、正面には茶箱のような家具が置かれ、そこにアキノキリンソウが1本、茶花のように生けられていた。裸足でお堂みたいな頑丈な廊下を踏んで、天井の高い10畳ほどのゆったりしたひと間へ。隣室には白いカヤの中にすでに床がのべられていた。全館、太い柱や梁は黒い漆塗りである。食事は地のお魚や野菜を使った豪華な精進料理。野菜がたっぷり入ったさつま揚げが美味。

 界中を旅したという宿のご主人のたどり着いたスタイルは、宿坊のよう。自然で気どりのないくつろげる宿。一人部屋は昔の文士に似合いそうな雰囲気だ。庭には様々な樹木を自生しているかのように植え、竹林や蓮池、クレソン池を配し、水辺はアオサギの食事場にもなっていた。

 庭の桜の下に、いたずらっ子のラブラドル犬タイ君がつながれ、柴犬クーちゃんとともに愛想をふりまき、そこだけ民家の庭先のようだった。

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102_5253102_5232左:勝手知ったる山道です。朝、散歩についてくるクーちゃん。右:浴室の外は竹林。これが輪島塗の浴槽です。フラッシュたいて撮影したら真っ赤っかでした。   

 

 

 

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能登の旅(2)

能登の旅(2)
恋路の海で海女になり、20センチ強のアワビと格闘しましたが、どうしてもはがすことができず。マツカサガイとイボニシをゆでて戴きました。

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 「見付島に日が昇ってますよォ~」 F隊長の柔らかな声で目覚める。8月6日5:00すぎ。テントを這い出し、若い松林を抜けて浜に出ると、すでに太陽は台形状の見付島の上に。監視所のおじさんや散歩中のキャンパーのおばさんによれば、島は地震で上部の両端が崩落し、じょじょに形が変わりつつあるという。

 を車から降ろし、ファルトの二人は組立て。F隊長はフジタのMSである。マイ・ファルトのカワセミ丸は浸水がひどくなってきたので、リジッドを持ってきた。朝食後、今夜は宿泊まりなので食材テントのみ残して、車に撤収して8:30船出。

 は遠浅で透明なエメラルドグリーンだ。日本海がこんな色してるとは。左手に浮かぶ見付島を1周してから、まずは約3キロ南の恋路海岸・弁天島を目指す。

 ち着いた海辺に似合わぬステンレスのハートの中に吊り下げられた鐘〈観光地によくあるやつ)が見えてきて、海水浴場となっている恋路海岸着。恋路の地名にはそれらしき伝説があるのだが、もとは海底に沈殿物が多いため「濃い路」のイミだったらしい。

 や南下し、やせた浜に上陸。ビーチグラス集めやスノーケリングに興じる。崖にはナデシコが咲き、渚には構造物の土台が海中に倒れて岩礁となり、魚たちの隠れ場所となっていた。キュウセン、キヌバリ、スズメダイ、クサフグなどがいたが、スレていなくて逃げない。岩礁に手のひら大のアワビを発見した。竹の棒、パドルのブレードなどではがそうとしたが、必死の吸着力に、わが身のあさましさを恥じて泳ぎ去る。

 側近が昨夜握ってくれたお握り(薄くて食べやすい)とカップ麺のランチ後、さらに南下。赤茶色の岩礁が散らばる、その名も赤崎と、その先の松島、平島まで巡る。平島岩礁のタイドプールでもうひと泳ぎ。10cmくらいの藍色のイトマキヒトデがいた。海中の岩礁がとだえると、明るい青緑色の世界が果てしなく広がる。

 3:30、見付島対岸の野営場に戻った。船を監視所の横に置かせてもらい、シャワー(脱衣所もあり)を浴びてから、いざ、楽しみにしていた一軒宿へ!

101_5123101_5162左:見付島をバックにビーチコーミングにいそしむF隊長。右:恋路の先の海中。

101_5158101_5206左:アワビとキュウセン。右:見付島園のあたり。丘と低い家並みと 松並木と、調和がとれている。   

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2007年8月 5日 (日)

能登の旅(1)

能登の旅(1)
鎌倉から10時間あまり、能登内浦に到着すると、ボラ待ちおじさんが櫓の上で待っていました。その昔、このようにして櫓の下の袋網にボラが入るのをのんびり待っていたそう。黒瓦を載せた単純で美しい家並み、ひなびた海辺、ほとんど観光地化されていない能登は心に沁みます。見付島対岸の野営場泊。

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 登半島先端の町、珠洲市にF隊長好みのいいお宿がある、というのが今回の旅の発端だった。しかし7月16日に新潟中越沖地震が発生したため、出発を2週間後に延期。おかげで能登のお祭り、キリコ見物ができるグッドタイミングとなった。

 月5日5:30amに鎌倉を出発し、横浜でF隊長、練馬でT側近を乗せたlarus車は、順調に関越、上信越(自衛隊の災害救援車を数台見かける)から北陸自動車道へ。その先の能登有料道路の道路脇ではあちこちで、3月の能登地震によると思われる崖崩れなどの修復工事を行っていた。そして「がんばっています、能登半島」の看板が路肩に。

 うだよ、災害のあとだからこそ応援しようと出かけたというのに・・・ 富山県警のネズミ捕り(北陸自動車道・射水市青井谷あたり)にまんまと引っかかってしまった。でっかいお舟をしょったネズミは目立つのだろう。パトカーの中でlarusは盗人たけだけしくも「サイテー!」という目つきで段田安則に似た若いおまわりさんを見すえた。すると「いじわるしてるわけじゃありませんよ。15キロ未満のスピード違反9,000円と、通行帯違反(追越車線を走り続けた)6,000円、のどっちか1つにしましょう。どっちにしますか」ときた。

 点の穴水で有料道路をおりてから、さらに北上。海辺の集落を巡るドライブが楽しかった。ボラ待ち櫓(七尾北湾・根木)や、昔の木造校舎のような単純なシルエットに、うわぐすりをかけた光沢のある黒い能登瓦のシックな民家。内浦に流れこむ静かな運河。車を停めては見学した。湖面のような凪いだ海を囲む丘の稜線はぎざぎざだ。杉が育ちすぎて伐採にはお金がかかるので困っていると、あとで聞く。

 出し後、珠洲市宝立町の海辺の野営場にテントを張る。先客は家族連れ1組とアジア系の若者グループ。目の前の海には軍艦のような形をした見付島(弘法大師が見つけたそう)が浮かぶ。前夜は3時間ほどしか寝ていなかったので、F隊長のポーク・ソテーに舌鼓をうったのちバタンキュー。

100_5109100_5115左:芭蕉の句碑「一つ家に遊女も寝たり萩の月」(北陸自動車道、有磯海SAにて)。右:穴水町・甲の集落。 

 

 

 

 

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