『逝きし世の面影』のこと
時代は1889(明治22)年にくだるが、英国駐日公使として赴任する夫に伴ったメアリ・フレイザーは、瀬戸内海を航行中、白帆の大群に取り囲まれたときのことをこう描き出している。「海は突如として、白いオウム貝の小艦隊のように見えるもので覆われた。いずれも張り出した帆をはためかせ、太陽を浴びて水を切りすすむ百のへさきが奏でる涼しい音楽を響かせながら、私たちのまわりに寄り集まってくる」千差万別のパタンをもつ日本の舟の帆が「独特の柔らかな輝きをたたえて風をはらむ姿は、青空を背景に銀の蜘蛛の巣を眺めるようだった」。
『逝きし世の面影』(渡辺京二・平凡社ライブラリー)「第11章 風景とコスモス」より引用
自分の顔は自分の目で直接見ることはできない。だから私はこの本『逝きし世の面影』を支持している。幕末・明治期に日本を訪れた外国人が残した日本に関する某大な記録を読み、まとめ上げたものだ。「近代化によって滅んだ日本」を多角的に復元してみせたこの本を昨年読んだ時、ものすごい鉱脈にぶつかったような気がした。わくわくした。芋づる式に興味が広がった。
著者である渡辺京二氏に昨日、思いがけずお会いした。氏は『苦界浄土』の石牟礼道子さんと並んでにこにこされていた。朝日新聞1月25日付、夕刊第1面、『ニッポン人脈記 わが町で本を出す(1) 福岡はアフガンへの窓』のコラム中でのことだ。
そこには福岡の出版社・石風社の福元満治さんと、「ペシャワール会」の中村哲医師、そして作家・石牟礼道子さんと渡辺京二氏の気骨あふれる4人の縁について書かれていた。
『苦界浄土』のもとになった連載をのせた雑誌、それは渡辺氏が発行していた雑誌『暗河』だった。以後、氏は水俣病追及の急先鋒だったのだ。
わが身の無知とともに、渡辺氏の衰えぬ探究心と反骨精神のルーツの一端を知る。彼の経歴を知って『逝きし世の面影』を読んでいたら、もっと深く感応できたかもしれないなあ。
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