めでたさ
正月、弟子から「おめでとうございます」と挨拶された澤木興道老師は、「何がめでたい。何がめでたい」と詰め寄った。
昭和13年に刊行された澤木興道老師の『禅談』(大法輪閣・刊)は生き生きと語りかけ、今もってまったく古びていない。文明や科学が進歩しても、人はまったく進歩していないということだ。そして心の救済がますます火急となっているように感じられる。凡夫の私は、どこを読んでも絶句した。
「人間はただ放っておけば一匹の動物で、色気と食い気だけで、あとはゼロである。それから金が欲しい、家が欲しい、玩具が欲しいと言う。この玩具が成人するにつれて念が入る。初めは母の乳房でよかったが、キャラメル、鞠、写真機、自転車、だんだん年寄ると骨董品を欲しがったり、掛け物を欲しがったり、それで最後は棺桶である。」
近所の長谷寺に初詣した。ここは奈良時代の開創と伝わる古刹で、坂東三十三所観音霊場の第四番札所。本尊の十一面観音菩薩像は9mをこえる木彫仏だ。
初めて小さな宝物館に入ってみて、びっくり。特に2階に展示されている観音三十三応現身像(室町時代の作)が壮観で、仏師の技と念にゾゾッとした。観音菩薩は天上・地獄・餓鬼・畜生の四界にいる人間すべてを救うため、仏身や梵天身に始まり、阿修羅身や毘沙門身など三十三の姿に変現したのだそうだ。中世のどんな仏師たちが、何を思いながら彫ったのだろう。
境内では早春の花、ロウバイがもう開花し、その隣りでは十月桜がまだちらほら咲き残っていた。展望台から望む由比ガ浜はまばゆく輝いている。そのかなたに大島が見えるので、富士山も拝んでいこうと稲村ケ崎まで足を伸ばす。山頂には厚い雲がかかり、七里ガ浜沖には兎とサーファーたちが繰り出していた。
ことしは原仏教について、それから鎌倉時代に展開した新仏教について、当地の利を生かして、いろいろ知りたいと思っている。
皆さま、本年もよろしくお願いいたします。ゴ~~~~ン。
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