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2007年8月29日 (水)

開けてびっくり玉手箱

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  オ、オーッ! 宅急便で届いた小箱を開けて、雌たけびをあげてしまったlarusです。

  掛けと、弓角セットと、コウイカの骨そっくりのでっかいサーフプレーンが入っているゥ!!

   ビでタイを釣る、と申しますが、同人誌で釣具を釣ってしまったどー。先日、羽田をガイドしてくださったnobさんに同人誌ほか差し上げたところ、そのお返しといういうことでわざわざ送ってくださったのでした。本当にありがとうございました。

  掛け、さすがnobさん、いいシゴトしてますねえ。カヤック・ビルダーだから朝飯前でしょうか。

  角セット、私が持ってない白と赤もそろってますね。

  ーフプレーンはスキップバニー(ねずみ)が海面近くを狙うのに対し、沈むタイプ。ほしかったフロートです。早速、お風呂の残り湯にドボンとつけて、引っぱってみました。ゆらゆら揺れて魚のようです。でもでも、こんなにでっかいのを追ってくるのって・・・ サ、サメじゃないかーーーっ?? 今夜は心配で眠れません。

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2007年8月28日 (火)

鎌倉映像フェスティバル

鎌倉映像フェスティバル

 喜多記念映画文化財団が主催する、映像コンテストの応募作品上映会(鎌倉市生涯学習センターにて)に出かける。大林宣彦監督の『転校生』(1982)が見られて、監督の講演と講評が聞けて、応募作品の観客賞には1票投じることができるというから、10:00から18:00までフル参加してしまった。

 道を舞台にした『転校生』は、中身が入れ代わってしまった高校生の男女の物語。尾美としのりと小林聡美の主演。82年のキネマ旬報で日本映画の3位だったそう。ちなみに1位は『蒲田行進曲』、外国映画の1位は『ET』。

 「斉藤一男クン」になってしまった小林聡美の少年の演技が鮮やかだった。もともと中性的なところがあるから、キャスティングが当たったのだろう。私はある本の一節を思い出していた。

1992年に、オランダで女性から男性になった性転換者がいた。この人は男になるために、テストステロン(男性ホルモン)の投与をつづけ、その量をふやしていった。その間の心境の変化を詳細に書き残している。

「私は自分をうまく表現できない。言葉の使い方が前よりも幅広くなく、前よりも直接的で簡潔になっている。前よりも具体的になっている。前よりも考えることが少なくなり、考えずに、前よりも早く行動するようになっている。目で見えるものはじつに強烈だ。幸福すぎる感じにさせられる。悲しいことに全体像はわからない。私は今では、一時に一つのことをしなければならない。前にはいろいろなことを同時にできたものだが。私は今では微妙な手の動きができない。私は前よりも気がきかなく、視野がせまくなってきている」

立花隆『僕の血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊』の中の『テストステロン』(青土社)の書評より

 格とはホルモンの作用なのかと腑に落ちるではないか。

 後から鎌倉をテーマにした応募作品16本(各作品10分以内)を見たが、正直言って後半は帰りたくなった。ひとりよがりだったり、シナリオがいい加減だったり、リズムのないカットつなぎだけだったり・・・ 8作品に絞って上映してくれたらまだよかったのに、大林監督はいったいどう講評するのか??

 「高校生の作品と70歳の人の作品に、優劣などつけられない。競い合って高め合う時代から、ゆるし合って深め合う時代になった。」

 んな感じで講評は始まった。監督の優しさは広く知られてると思うが、各作品に対する、映像史や映画の作法を絡めた、細やかで励ましに満ちた講評に、会場はみな聞き入った。手持ちのビデオカメラで「オンリー・ワン」の作品を作る時代だという。

 た、『転校生』で故郷の尾道を舞台にしたのは、当時、開発計画があったからで、古い町並みを保存したかった、老人のシワは美しいのだと語られた。1960年代に、鎌倉でくいとめられた開発計画の実話をもとに撮りたい映画もあるそうだ。

 後に奨励賞3本、生徒賞1本、佳作3本、優秀賞1本が発表される。優秀賞は、あがた森魚氏の「ギターでなく、ビデオで世界と対峙した」映像日記だった。私が1票いれた作品『THE 冬のにおい』の監督・中野晃太さんは、2本応募してきたそうで、そのもう1本が「タダモノではない」と思わせる、すぐにカンヌ映画祭に出品できそうな人だったが、ロケ地が藤沢だったため辞退したそう。

 林監督の映像作品に対する造詣の深さと、包容力と話術に酔ったコンテストだった。観客が少なかったのが惜しまれる。ただ今、監督の新作『22才の別れ』公開中。コンテストはたぶん来年も開催される。

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耳寄りな話

 間寛平な日々を送っている。かい~のぉ、強烈に、耳ん中が。

 さらに右耳の周辺が腫れて熱をもってきた。キュウリが噛めない。

 超・医者嫌いの私だが、これじゃ水遊びできないから、すんなり耳鼻科の医者に行く。

 ーファーズイアーになってないかってっことね、と評判のいい、若手医師F先生がおっしゃる。鼓膜の検査をすると、耳と鼻をつないでいる耳管の働きが弱いとのこと。耳抜きができてないと言われる。確かに面倒くさくて潜った時、耳抜きしてなかった。で、診断は外耳の湿しん。そ、それだけですか、って感じだ。泳いだあと、綿棒でゴシゴシ拭きすぎて、潮負けしたか、海の微生物にかぶれたのかもしれない。

 大したことなくてよかったが、とにかく、かい~の。耳ん中をアリンコが歩き回ってる感じ。でも当分、綿棒は使わないようにと言われている。海水浴でなくて、耳浴の週になるとは。点薬はリンデロン液。

 あと、ネット販売されてる1400円くらいの耳栓は買わなくてよろしい、すぐとれてなくなっちゃうから、100円ショップで売ってるので十分だよ、とのこと。

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    しにやってみましたが、「めまい」はしませんでした。

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2007年8月25日 (土)

いただきます

101_5505101_5509左:マイ・ネズミ。7cm、50gのフロートは、普通に漕ぐと海面近くで水しぶきをあげ、ゆっくり漕ぐと沈む。弓角(ゆみつの・疑似餌)はピンクのみ使用。右:七里ガ浜沖にて。ウミネコが数羽集まる定置網のそばを漕ぐ。

101_5513101_5515左:江ノ島南端。いつも釣り人がいっぱい。クロダイやメジナ狙いなんだろう。右:その真ん前で当たりが来た。ころころむちむちのソーダガツオ。25㎝。

101_5517101_5518左:腰越沖でイキのいいワカシがヒット。右:坂ノ下海岸帰着。いたって穏やかだが、アンドンクラゲがいるので注意!!

101_5525101_5526左:ゴカイの糞山が果てしなく続く。右:漂着していた藁細工。お盆の名残だろうか。

 方の北東風にかすかな秋の兆しを感じる。鎌倉坂ノ下海岸~江ノ島往復。漁?とトレーニング漕ぎに行く。8:30出艇、11:30帰艇。

 潮の坂ノ下海岸に降り立ち、出漕準備をしていると、前方の渚で恰幅のいい白人男性のお父さんと子供が3人。7歳くらいの一番上の男の子がボードの上に腹這いになってエ~ンエンと泣いている。瞬間、これはスパルタ・パパで、いやがる息子にサーフィンをさせ、溺れかかったんじゃないかと想像する。

 かし、膝の裏をクラゲに指され、薬を買いに行ったママの帰りを待っているところだった。薬局で調合してもらったクラゲ用の薬を持っていたので塗ってあげた。ちょっと古いので効き目は分らなかったけど。帽子もかぶらず泣き続けて水分が出てるから、冷たい麦茶などすすめていたら、日本人のママがお酢を手に戻ってきて、一家はおうちへ。

 ンドンクラゲの触手に巻きつかれたのだろう。あれはズッキンズッキンと痛い。子供ならなおさら。アンドンクラゲが出たら夏も終りだ。以前、長浜の浅瀬でアンドンクラゲの集会を見たことがある。ゆでる前のパスタが袋から散乱したみたいだった。視覚的にはまさに行灯になが~い尻尾がついていて、面白い生き物だ。そんな海辺の面白い生き物を集めた、ちょっとミロ風な作品を日本画家の堀文子さんが描いていた。

 て、漁である。今朝は寝坊して出足は遅いし、ウミネコの姿も全くない。期待せずパドリング。稲村ケ崎には次から次に小さなサーフが押し寄せ、サーファーがいい波待ちをしている。七里ガ浜に入ると、サーファーも消え、釣船もヨットもいなくて、江ノ島までの広い海原を独占状態。きょろきょろナブラ(海面に浮かんできた魚の群れ)を探していると、ウミネコが数羽やっぱりナブラを探して飛んでいるのだろう。

 ブラ、全くなし。仕方ない、定置網の周りを漕いでみようと、赤旗に近づいていくと、定置網のブイの上にウミネコたち。彼らと同じ行動をとっているようだ。魚を追っていると、ウミネコの行動パターンが少し分ってくる。釣りをすると海を見る目が変わるとjogoさんは言っていた。

 っぱりだが、とりあえず江ノ島を時計回りに回ることにする。ジェットスキーと腰越漁港にもどる漁船をかわしながら進む。いつものように島の南西端は釣竿の行列である。並んだ浮きを遠巻きに漕いでいると、当たりがくる。少し引いたり戻したりして釣り上げる。サバか?ソーダガツオとはちがうような。石が飛んでこないかちょっとシンパイしながら(磯の人たちは青物なんか狙ってないだろう)、締めて、クーラーボックスに。

 ノ島大橋をくぐり、腰越沖を通過中、2匹目が来た。ウグイス色のワカシだった。すごく元気がよくて、締めるのに時間がかかる。遠くの水平線を見ながら「ごめんよ、成仏しておくれ。しっかり食べるから」と念じながら、エラをひっぱる。が、なかなかとれない。目をむいて、あえぐように口を開けている。あんなにぴちぴちだった体が、みるみる間にぐにゃっと縮んだ。それでも死ねない。スカートは血の池。かわいそうなことをした。締め方をもっとよく教わっておくべきだった。

 りは、自分の生の裏には、いくつもの目をむいた死があったことを想起させる。この魚の命をもらう代わりに、ほかの肉は減らそう、ムダ食いはやめようと思うのだった。ギャル曽根よ、1度、釣りをして魚を締めなさい。

 ったからには美味しく食べるべし。近所の魚屋さんに釣った魚を持って名前を聞きにいく。1匹目はソーダガツオ。マンダラと呼んでいるそう。血合いが多く売れないが、刺身のほか、二つに切って、こってり煮るといいとのこと(とても美味だった)。ワカシも煮るといいと言われたが、カルパッチョにしてしっかり食べたよ。君のあのはちきれんばかりの命をもらって、がんばって生きます。

 登の旅でF隊長がこうおっしゃっていたのを思い出す。「いただきます、っていうのはごはん作ってくれた人に対して言ってるのかと思ってたけど、生き物に対してその命をいただきます、っていうことだったのよね。」

      

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2007年8月24日 (金)

ウミネコになった日

100_5473100_5476左:シーカヤックトローリングのお供「ネズミ」。右:葉山沖での天気雨。雷雨を伴う強雨~曇り~晴れ、とめまぐるしく天気が変わった。

100_5481100_5489左:尾ケ島に上陸して、スノーケリング。右:昼過ぎには青空がのぞく。富士山の頂上、箱根、真鶴、江ノ島、大島が見え隠れする。

100_5494100_5499左:ウミネコたちに囲まれて。右:初めての釣果、ソーダガツオ。美しい。

  月23日(木)、気圧の等高線の間隔が開き、ようやく海路日和の到来か、と思いきや、朝からどしゃぶりの雨である。雷警報も出ていたが、やばくなったら戻ろうということで、雨あしが弱まった時をついて出艇。

 倉材木座海岸から長者ケ崎まで、かねてより楽しみにしていたTamaちゃんとのタンデム・ツアーだ。特別ゲストとしてシカトロ名人(シーカヤック・トローリング)で四国旅から帰ったばかりのjogo氏をお迎えし、手ほどきを受けた。

 的な天気の変化。魚種の多い尾ケ島での素潜り。白い腹の美しい虹に見とれているうちに私の掌であっけなく絶命したソーダガツオ。ウミネコの海面でのユーモラスな助走の数々。長者ケ崎海岸でのkameさんとの思わぬ再会。心地よい稲村ケ崎温泉での潮抜き。3日間のキャンプツーリング(海況により変更)を1日に凝縮したような密度濃い1日だった。

 カトロしながら、魚を探して飛び続けるウミネコの仲間になった。ほかの生き物の命をもらって生きているのを実感した日。

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2007年8月22日 (水)

遊泳注意、足元注意

遊泳注意、足元注意
 すぎ、遊泳注意となった鎌倉坂ノ下海岸に、おもちゃのボディボードを抱えて出撃。小半時、波と遊ぶ。しなるボードをへの字にたわませると面白いように波に乗る。波乗りというより、トドのストランディングと言ったほうがいいかもね。

 方、再び海を見に行くと、力尽きた渡り鳥、ハシボソミズナギドリが4体ほど漂着していた(画像手前)。また、アジ科と思われる20~30㎝の魚が線状に累々と打ち上げられている。どうしたのだろう。

 辺のヨウシュヤマゴボウにもノブドウにも、はや青い実がつき始めた。明日は攪拌された海に潜りに行こう。

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2007年8月21日 (火)

海路日和を待ちながら

海路日和を待つ
 凪坊主(テルテル坊主のいとこ)を吊ったのに…、奇跡は起きず。今日の鎌倉の海は白兎とウィンドサーファーたちのものになっていた。計画していた三浦半島キャンプツアーは予定変更。

 わりの暑気払いをしに、稲村ケ崎の市営プールに泳ぎにいく。プールでは来場者5万人を目標にしている由。26日にはスウィミング・フェスティバルなる競技会が開かれ、沖縄のエイサーも披露されるそうだ。

 日、東伊豆で潜ったら息が続かなくなってたので、練習した。平泳ぎ、クロール、背泳、横泳ぎを混ぜて、休み休み300mほど泳いだが、塩素が目とノドにしみた。やっぱり生きてる海のほうが楽しい! 

 校にプールができてから子供の海離れが始まったというけれど、小学生のころ東京に住んでた私は夏休みじゅう、鎌倉の祖父母の家に遊びに来て、毎日、鎌倉海岸か、遊泳禁止のときは市営プールで泳いでいた。中学生のとき、鎌倉に引っ越してきたが、もう海パンの脱がせっこしてる兄や弟たちと海で遊ぶ年じゃなかった。まだサーフィンは流行っていなかった。

 水浴を卒業した子供たち、地元の中学生や高校生よ、鎌倉でシーカヤックをやろう!と唐突に私は思うのだった。地域を知り、冒険心を育て、自己鍛錬をあたえてくれるシーカヤックに学校関係者が注目してくれるといいなと思いながら、私は広報「かまくら」に「海の自転車に乗って」という記事を書いた。海に揉まれればイジメなんてなくなるだろう。

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2007年8月19日 (日)

タデ食う虫、ネコノシタ食う虫

103_5472_2100_0702左:今夏。右:昨夏。   

 年の夏、諸磯から移植したネコノシタが、ちょうど1年でこんなに増えました。ところが猫の舌のようにざらざらで肉厚の葉をばりばり食べる虫が現れました。画像を拡大するとわかりますが、葉は虫食いだらけ。

 デ食う虫も好き好き、といいますが、いったいどんなやつがムシャムシャ食べてるのか。これ、うまいんですかね。まあ、ジューシーなのかもしれない。でも海辺で虫食いのあるネコノシタなんて見たことない。(ハマカンゾウにたかるアブラムシはここ数年すごいけど。)

 人はオンブバッタでした。なんとなくゆるしてやったら、いい気になって食べてくれました。

 近の昆虫の世界も地球温暖化で異変が多いよう。昨日テレビでやっていたアルゼンチンアリ(日本のアリより細身で、歩くスピードが異常に速い、日本のアリの巣を乗っ取り、駆逐している)、みなさんの近所にはもう出没していますか。

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2007年8月17日 (金)

城ケ崎沖の試練

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101_5450 左:赤沢海岸から岬を2つほど越えると大室山が現れた。右:門脇崎にて。

101_5465_2101_5470_2左:赤沢海岸の忠犬ブル公。右奥のご主人さまの「待て」の言いつけを守り、立ち尽くしていた。右:宇佐美の送り火。

【漕ぎレポ】

8月16日(木)晴れ、気温32℃、南西風2m、波高1.5m、満潮6:08、干潮12:32、中潮。

コース:東伊豆・赤沢海岸~城ケ崎海岸・門脇崎、往復(9:20~12:00)。約14km。

 験道の師、小次郎と行くなら、そそり立つ岩場の連なる城ケ崎。ということで静岡のカヤッカー氏のHP「海と空と雲と」を大いに参考にさせていただき、赤沢から城ケ崎まで往復する計画を立てた。5:00鎌倉発。

 難港は八幡野(富戸)と城ケ崎の北側、伊東検潮場のあたりにしかない。幸い、東伊豆の海はいたって穏やか。赤沢海岸の海水浴場の人の少ないところから出艇する。波打ち際は海藻がサーフに逆巻いているが、漕ぎ抜ければすぐ透明な海だ。柱状節理や吊橋、ドーム状の洞窟を見ながら海岸線ぎりぎりを漕ぎ進む。

 を越えるとカヤトのすっきりした大室山が姿を現す。海はところどころで岸壁からの返し波による小さな三角波が立ち、北上するにつれ前方からうねりも寄せてくるが、快適。

 ので油断したのだろう。遊覧船が引き返していったあとだから、日蓮崎の少し南あたりでか、小次郎師が粗沈し、武蔵ことlarusに試練?を与える。小次郎はすぐ艇を元にひっくり返してスターンから這い上がってきた。武蔵は艇の先端を引き上げての水抜きは二次沈の恐れがあったので、ポンプで半分ほど排水。コーミングを押さえてバウから這い上がってもらい、無事、再乗艇。

 次郎は山では無敵で、黒部川や吉野川などの激流下りもしているのに、海だけ怖がりなのはどういうわけか。不謹慎ながら、武蔵はその落差がおかしく、再乗艇中、横隔膜を引きつらせていた。スミマセン。

 ケ崎海岸の北端にあるボラ納屋まで行ければよかったが、途中、小次郎が漁船のおじさんに午後は風が強まるかもしれないと言われていたこともあり、門脇崎の灯台の下でUターンした。

 路はややうねりが大きくなり、風もやや出て、長く感じられた。「全力で漕ぐな」Great Seaman八幡氏の言葉を思い出しながら、ジリジリと漕ぐ。赤沢海岸は東側に漁港があるので、緊急時にはそのスロープから上陸可。海水浴客の隙間をぬって砂浜に上陸、帰着。

 の露天風呂に浸かったあと、西側の岩場でスノーケリングした。チョウチョウウオ、ルリスズメ、ソラスズメ、キタマクラ、カゴカキダイのペア、タコノマクラくらいしか名前は分らないが、みな大きく太っていて見ごたえがあった。 

 途、伊東で寄った源泉掛け流し「汐留の湯」(R135沿い)は170円。気持ちいいお風呂です。城ケ崎沖で一命をとりとめた?小次郎師にお寿司をご馳走になった。

 

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2007年8月13日 (月)

ベカ舟を作る

100_5424 田区立郷土博物館で買ったペーパークラフトのベカ舟を作った。

 安郷土博物館の屋外に展示されているベカ舟を見たとき、端整な小舟だなあと思ったけれど、このペーパークラフトもまさに笹舟のようなほっそりした形をしている。

 戸時代から一人乗りの海苔作業船として使用され、「テンマ」、「海苔採り伝馬」などとも呼ばれた。実物は全長約4.5m、幅0.9m。厚さ2cm強の杉材で作られていた。

 登の旅の記録を、すでにアップした旅先からの短い投稿の下に加筆し始めました。ご興味ありましたらお読み下さい。

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2007年8月 9日 (木)

能登の旅(6)

能登の旅(6)
穴水町・立戸の浜から円山の岬まで往復。コオ二ユリ揺れる浜で潜ると、40センチ位のマダイほか美味しそうな魚たちが満ち潮に乗ってやってきていました。幕場の横の松林で車が砂にはまり、JAFのお世話に。そのせいかタイヤの調子が悪くなり、バーストしないか、ヒヤヒヤものの道中が待っているとは誰も予期していませんでした。満天の星空に、潮騒すら聞こえない穏やかな立戸浜での一夜。もうすぐこの浜も祭りでにぎわうのだとか。

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2007年8月 7日 (火)

能登の旅(5)

能登の旅(5)
宝立市七夕祭り、キリコ見物のはじまり、はじまり。夜も更けるとキリコは海中に入り、松明の回りを練り歩きます。勇壮な祭りの佳境はあと3時間後。

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 登では夏から秋にかけて、およそ150箇所でキリコ祭りが行われる。キリコとは切子燈籠のことで、はじめは笹の枝に燈籠をつけて神様に奉っていたが、それが4本柱となり、漆や金箔が施され、江戸時代中期には高さ10mを越えるようになったという。七夕祭りで単独で用いられるほか、おみこしのお供として担ぎ出される土地もある。

 て私たちが見物したのは、宝立市の七夕キリコ祭り。7基の巨大なキリコが午後7時頃から鵜飼川沿いの道を浜に向って練り歩いた。ハッピ姿で肩にかわいい三角の布団をのせた男衆が、重さ1t前後のキリコを担ぎ、5m位ずつ移動させてはひと休みする。キリコには太鼓打ちと子供が5~6人乗っていて、鮮やかなバチさばきを披露。巨大な燈籠は倒れないよう、四方から綱で引っぱられている。一方に身をかしげながら進む御神灯は、まるで生き物のように、神さまそのもののように見えた。

 幅はせまいから、キリコに轢かれないよう、右往左往逃げるように移動しながらの見物となる。鵜飼川にカヌーを浮かべての見物がおすすめだ。それにしても威勢のいい大勢のおにいさんたち、静かな海辺の町の一体どこから沸いて出たのだろう。

 10時すぎ、浜にもうけられた特設会場の横に腰を下ろし、沖で燃えさかる松明を眺めていると、上半身裸になった男衆に担がれて、いよいよキリコが海中に降りていく。右手では花火も始まった。

 仰心の篤い人々が疫神退散や豊作大漁を願って、今日まで伝えてきたお祭り。都会では失われてしまった「ハレとケ」が、能登の暮らしにはまだ存在するように感じられた。

102_5302102_5312左:また、ひと担ぎ。右:鵜飼川沿いを進む。

102_5343102_5344左:浜の前の広場に集合したキリコ。右:やや小さめのキリコを担ぐ中学生たち。待ち時間も踊って跳ねていた。

102_5364102_5375左:松明の周りを乱舞。右:水中花火、打ち上げ花火とともに。

102_5387102_5390陸にあがるキリコ。最後のひと担ぎ。       

 

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能登の旅(4)

能登の旅(4)
海が五色に見える五色ケ浜から九十九湾まで、ほどよい波に揺られました。追い波に乗ってエメラルドグリーンの海原から湾へ。小島に上陸探検。祠にお参りする元・三人娘なり。

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 月7日、昼すぎまで珠洲の宿のゲストハウスでのんびり過したのち、見附島に戻った。船を3艇カートップして向った先は、10キロほど南の五色ケ浜。確かに、渚から沖合いまで海は薄茶~薄緑~青緑~青と変化している。ここもトイレ・シャワー・脱衣所ありの海水浴場でカヌーツーリングにも便利。沖には消波テトラが並び、出艇しやすい。

 十九湾まで往復したが、湾の入り組んだ海岸線には遊歩道が設置され、景観はイマイチだった。14:40出艇、17:00帰艇。

102_5294102_5300左:九十九湾にて。右:五色ケ浜。消波テトラがヘッドランドとなり、人工岬のように砂浜が発達。

 

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能登の旅(3)

能登の旅(3)
珠洲市のかつての湯治場に建てられた隠れ宿です。柴犬クウちゃんのおでむかえを受けました。美しいきなりのカヤがつられた寝所はお姫様気分。陰翳礼讃の宿でした。浴槽は輪島塗り。やや白濁したお湯に浸かっていると、うしお汁の具(骨付き肉)になり、これから怪物に喰われそうな感じを味える和風ファンタジ−湯です。

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 附島から車で北へ10分足らず、廃線になった能登鉄道のレール跡を横切ると、田んぼが開け、片隅には上戸駅がぽつりと残っている。宝立山に向って西進。杉木立をすり抜けると、カエデのアーチの向こうに「さか本」さんの宿がひっそりとたたずんでいた。駐車場までトコトコと柴の老犬がお迎えに出てきた。

 関の白い暖簾をくぐると、ほの暗い中、左手にかまどが、正面には茶箱のような家具が置かれ、そこにアキノキリンソウが1本、茶花のように生けられていた。裸足でお堂みたいな頑丈な廊下を踏んで、天井の高い10畳ほどのゆったりしたひと間へ。隣室には白いカヤの中にすでに床がのべられていた。全館、太い柱や梁は黒い漆塗りである。食事は地のお魚や野菜を使った豪華な精進料理。野菜がたっぷり入ったさつま揚げが美味。

 界中を旅したという宿のご主人のたどり着いたスタイルは、宿坊のよう。自然で気どりのないくつろげる宿。一人部屋は昔の文士に似合いそうな雰囲気だ。庭には様々な樹木を自生しているかのように植え、竹林や蓮池、クレソン池を配し、水辺はアオサギの食事場にもなっていた。

 庭の桜の下に、いたずらっ子のラブラドル犬タイ君がつながれ、柴犬クーちゃんとともに愛想をふりまき、そこだけ民家の庭先のようだった。

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102_5253102_5232左:勝手知ったる山道です。朝、散歩についてくるクーちゃん。右:浴室の外は竹林。これが輪島塗の浴槽です。フラッシュたいて撮影したら真っ赤っかでした。   

 

 

 

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能登の旅(2)

能登の旅(2)
恋路の海で海女になり、20センチ強のアワビと格闘しましたが、どうしてもはがすことができず。マツカサガイとイボニシをゆでて戴きました。

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 「見付島に日が昇ってますよォ~」 F隊長の柔らかな声で目覚める。8月6日5:00すぎ。テントを這い出し、若い松林を抜けて浜に出ると、すでに太陽は台形状の見付島の上に。監視所のおじさんや散歩中のキャンパーのおばさんによれば、島は地震で上部の両端が崩落し、じょじょに形が変わりつつあるという。

 を車から降ろし、ファルトの二人は組立て。F隊長はフジタのMSである。マイ・ファルトのカワセミ丸は浸水がひどくなってきたので、リジッドを持ってきた。朝食後、今夜は宿泊まりなので食材テントのみ残して、車に撤収して8:30船出。

 は遠浅で透明なエメラルドグリーンだ。日本海がこんな色してるとは。左手に浮かぶ見付島を1周してから、まずは約3キロ南の恋路海岸・弁天島を目指す。

 ち着いた海辺に似合わぬステンレスのハートの中に吊り下げられた鐘〈観光地によくあるやつ)が見えてきて、海水浴場となっている恋路海岸着。恋路の地名にはそれらしき伝説があるのだが、もとは海底に沈殿物が多いため「濃い路」のイミだったらしい。

 や南下し、やせた浜に上陸。ビーチグラス集めやスノーケリングに興じる。崖にはナデシコが咲き、渚には構造物の土台が海中に倒れて岩礁となり、魚たちの隠れ場所となっていた。キュウセン、キヌバリ、スズメダイ、クサフグなどがいたが、スレていなくて逃げない。岩礁に手のひら大のアワビを発見した。竹の棒、パドルのブレードなどではがそうとしたが、必死の吸着力に、わが身のあさましさを恥じて泳ぎ去る。

 側近が昨夜握ってくれたお握り(薄くて食べやすい)とカップ麺のランチ後、さらに南下。赤茶色の岩礁が散らばる、その名も赤崎と、その先の松島、平島まで巡る。平島岩礁のタイドプールでもうひと泳ぎ。10cmくらいの藍色のイトマキヒトデがいた。海中の岩礁がとだえると、明るい青緑色の世界が果てしなく広がる。

 3:30、見付島対岸の野営場に戻った。船を監視所の横に置かせてもらい、シャワー(脱衣所もあり)を浴びてから、いざ、楽しみにしていた一軒宿へ!

101_5123101_5162左:見付島をバックにビーチコーミングにいそしむF隊長。右:恋路の先の海中。

101_5158101_5206左:アワビとキュウセン。右:見付島園のあたり。丘と低い家並みと 松並木と、調和がとれている。   

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2007年8月 5日 (日)

能登の旅(1)

能登の旅(1)
鎌倉から10時間あまり、能登内浦に到着すると、ボラ待ちおじさんが櫓の上で待っていました。その昔、このようにして櫓の下の袋網にボラが入るのをのんびり待っていたそう。黒瓦を載せた単純で美しい家並み、ひなびた海辺、ほとんど観光地化されていない能登は心に沁みます。見付島対岸の野営場泊。

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 登半島先端の町、珠洲市にF隊長好みのいいお宿がある、というのが今回の旅の発端だった。しかし7月16日に新潟中越沖地震が発生したため、出発を2週間後に延期。おかげで能登のお祭り、キリコ見物ができるグッドタイミングとなった。

 月5日5:30amに鎌倉を出発し、横浜でF隊長、練馬でT側近を乗せたlarus車は、順調に関越、上信越(自衛隊の災害救援車を数台見かける)から北陸自動車道へ。その先の能登有料道路の道路脇ではあちこちで、3月の能登地震によると思われる崖崩れなどの修復工事を行っていた。そして「がんばっています、能登半島」の看板が路肩に。

 うだよ、災害のあとだからこそ応援しようと出かけたというのに・・・ 富山県警のネズミ捕り(北陸自動車道・射水市青井谷あたり)にまんまと引っかかってしまった。でっかいお舟をしょったネズミは目立つのだろう。パトカーの中でlarusは盗人たけだけしくも「サイテー!」という目つきで段田安則に似た若いおまわりさんを見すえた。すると「いじわるしてるわけじゃありませんよ。15キロ未満のスピード違反9,000円と、通行帯違反(追越車線を走り続けた)6,000円、のどっちか1つにしましょう。どっちにしますか」ときた。

 点の穴水で有料道路をおりてから、さらに北上。海辺の集落を巡るドライブが楽しかった。ボラ待ち櫓(七尾北湾・根木)や、昔の木造校舎のような単純なシルエットに、うわぐすりをかけた光沢のある黒い能登瓦のシックな民家。内浦に流れこむ静かな運河。車を停めては見学した。湖面のような凪いだ海を囲む丘の稜線はぎざぎざだ。杉が育ちすぎて伐採にはお金がかかるので困っていると、あとで聞く。

 出し後、珠洲市宝立町の海辺の野営場にテントを張る。先客は家族連れ1組とアジア系の若者グループ。目の前の海には軍艦のような形をした見付島(弘法大師が見つけたそう)が浮かぶ。前夜は3時間ほどしか寝ていなかったので、F隊長のポーク・ソテーに舌鼓をうったのちバタンキュー。

100_5109100_5115左:芭蕉の句碑「一つ家に遊女も寝たり萩の月」(北陸自動車道、有磯海SAにて)。右:穴水町・甲の集落。 

 

 

 

 

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暑中お見舞い申しあげまスワン

102_4973_2In Lake Yamanaka, on July 28 

Lazy Larus has finished a week's labor.

Leaving for a nothern harbor,

Looking forward to a festival in the sea,

Likely to make a fantastic journey.

Wish you a happy summer vacation

With cool beer after paddling!

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