【漕ぎレポ】1月2日(水)、晴れ時々曇り、11℃、北~南風2m、波高1~0.5m、日出6:50、日入16:40、干潮4:38、満潮10:52、小潮。
コース:鎌倉坂ノ下海岸12:20~江ノ島(13:40着、14:40発)~鎌倉材木座~坂ノ下16:00 航行約16㎞。
森戸神社と江島神社のどっちに行くかは、東の空一面を覆う灰色のカーテンが決めてくれた。明るい西へバウを向けることにする。稲村ケ崎を越えると絶景が広がっていた。
右手、北の方角には高尾山くらいまで見えていたのではないだろうか。丹沢の峰々と雪化粧した富士。その手前にかさなる三重の山なみ。さらに外輪山の金時山、箱根駒ケ岳から天城山脈、そして大島まで、180度首を回して何度も稜線を北から南へ、南から北へとたどった。
穏やかな海面は青空を映し、相模湾は青い大気でみちみちている。今日は絶好の相模湾横断びよりだったにちがいない。
私は日本一周している外国人カヤッカーで初めてこのパノラマを見ている、と仮想してみる。ゼッタイOh, my God!とパドリングの手を止めるだろーな。見慣れた風景に初心で向き合おうと努めると、これがけっこう効果あるのです。
できそこないのケーキにワイルドに生クリームを塗りつけたような富士山。うーん、モンブランがあるなら、モンフジもいけるんじゃないですか、パティシエの皆さん。
七里ガ浜沖では2箇所でサーファーたちが波待ちしている。そこを越えると江ノ島まではヨットも漁船もいない。パノラマ山稜を眺めながら海を独占。
いつものように江ノ島を時計周りにして島の西岸に上陸した。小さな砂浜はお正月のためにきれいに清掃されている。
横丁から参道に出て、江島神社にお参りしていくことにするが、参拝客で階段は渋滞。
まったく動かなくなったので、その場でことしの誓願を念じてから、遊歩道に引き返し、島をぶらぶら歩いてひとめぐりした。
土産物屋さんや、その一角にある「世界の貝の博物館」やら、「江の島ふぉとみゅうじあむ」などなど、まったく時代の波に乗っていなくて愉快。貝の博物館ではモース(大森貝塚の発見者)が江ノ島で採集していたシャミセンガイが「モースの」と銘うって売られていた。でも福岡産。たぶん相模湾では絶滅したんだろう。
「一遍上人の島井戸」の前で、説明書に「遊行寺」の文字をみつけて足をとめる。子供のころお墓参りにいくおばあちゃんに連れられてよく行ったお寺だ。ここ藤沢は遊行寺の門前町として栄えた。寺の宗祖、一遍上人は法然の孫弟子で時宗の開祖だが、諸国で遊行(布教)し、ここ江ノ島では島民のために井戸を掘り当てたのだそうだ。
サムエル・コッキング苑(江ノ島植物園)前で、大道芸人のジャグリングのまわりに人垣ができていた。なんてことないジャグリングだが、人垣がさらに人を呼ぶ。
和菓子店・中村屋さんでお土産に女夫饅頭を買い、葛湯と持ってきたミカンで復路の漕ぎにそなえる。陸からわざわざ観光地江ノ島に遊びに行こうとは思わないが、手漕ぎの舟で海から行くと、原始人?の目と頭になってるせいか、すべてが新鮮で面白い。そうそう、私は縄文人であり、丸木舟で江ノ島にやってきた、と仮想して島見物するとよいでしょう。
14:40、縄文人larusは初詣客でにぎわう島を離れた。往路は鳥がさっぱりで、アビもウミスズメもいなかった。帰路には江ノ島大橋をくぐってすぐ、スズガモが1羽(右下画像)。あのおっかない目で私を見ると、あたふたと飛び立った。そして七里ケ浜高校前あたりから稲村ケ崎手前まで、ずうっと1羽のハジロカイツブリ?がダイビングしながら泳いでいた。1度潜ると、数十メートル先の海面に顔をだす。ウもあちこちで潜水。材木座上空を25羽ほどのユリカモメが舞って、やがて逗子マリーナ前に降りた。
本日は初漕ぎだが、しっかり初沈、初泳ぎの儀式もすませた。漕ぎもどった坂ノ下海岸はす
っかり凪いでいたので油断する。上陸時にサーフにひっくり返された。江島神社のお賽銭をケチッて10円にしたのもよくなかった、ような気がする。ウェアは厚手のラッシュガードと雨合羽のジャケットを着ていたが、冷たいってことはない。今、海水温は16℃くらいだろう。波乗りのお稽古ももっとしないと。
帰宅後、モースの日誌『日本その日その日』(東洋文庫、平凡社)を開いて、江ノ島の実験所のことを記したあたりをぱらぱら読む。
「(東京からの)この人力車の旅は、非常に絵画的であった。富士山の魅力に富んだ景色がしばしば見られた。かくもすべての上にそそり立つ富士は、確かに驚くべき山岳である。」
ついでに。この本は19世紀末の日本人と、その暮らしぶりや風物を、巧みなスケッチを交えて綴ったもの。一番最初に載っているスケッチは、サンフランシスコから船で横浜に到着後、乗ったはしけの櫓だ。
「この舟というのは、細長い、不細工な代物で、フンドシだけを身につけた三人の日本人―小さな、背の低い人たちだが、恐ろしく強く、重いトランクその他の荷物を赤裸の背中にのせて、やすやすと小舟に下ろした―が、その側面から櫓をあやつるのであった。我々を海岸まではこぶ2マイルを彼らはものすごいほどの元気で漕いだ。そして、彼らは実に不思議なうなり声を立てた。お互いに調子をそろえて、ヘイ、ヘイチャ、ヘイ、ヘイチャと・・・」
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